図 書
現代剣道百家箴
恩師松田秀彦先生のことども
太田 義人(剣道範士八段)
私が因伯尚徳会に入門、松田秀彦先生に師事し剣道の修業を始めて55年、今この修業の跡を回顧すれば、因伯尚徳会は明治7年藩侯より御下賜、鳥取藩に古来より学問の目標とされていた「文武併進」を指針として、武士の子弟を教育指導するため設立された場である。 文に流れるものは柔弱となり、武にはしるものは粗暴となる。文武は車の両輪の如きものであって、いずれが欠けても物の用をなさない。文と武はならび行なわれなくてはならないとの意である。
師匠松田秀彦先生は幕末の鳥羽伏見の戦を初陣とし、御維新(明治維新)の戦を闘いぬき、西南戦争にも参戦の鳥取藩士、警視庁、士官学校武術教師を勤め、因伯尚徳会師範として帰郷、武徳会支部設立と共に教授に就任された。先生は雖井蛙流師範で槍術範士・剣道・薙刀・柔道教士と、昭和14年89才で逝去されるまで武道一筋に生き通したかたであった。この道場、この師匠の下に約10年修業し、東京に遊学(体操学校)九段下「修道学院」で高野佐三郎先生始め、先輩諸先生の指導を受けて修業、多数の剣友を得、昭和3年帰郷、師匠の下で修業、学校・ 武徳会支部・警察・刑務所など教師として勤めた。
師匠松田秀彦先生は、今後の剣道は平和の剣道・活人剣でなければならないと諭された。「活人剣」とは身心を錬磨し、文を修め国家・社会の有用な人材をつくる剣道が活人剣である。甲手先の打ち合い、当てっこ剣道は活人剣とは言へない、「真剣」に気力、胆力の充実した、打突・打ち合いする剣道こそ活人剣である。心して修業すべきである。
「勝負と試合」勝負は一本で二本とはない。試合は文字の通りお互いの技倆を試すため、勝負を重ねるもの。日日の稽古には如何なる相手にも初一本を取る様心掛けて稽古するものである。大会・試合にも数多く出場参加したが生涯の思い出、それなりに意義ある大会は昭和15年の紀元二千六百年奉祝大会の宮崎神宮大会・大日本武徳会選抜大会、明治神宮国民体育大会、鹿嶋神宮全国選抜大会、戦後昭和26年3月西宮市制記念大会、全日本剣道連盟が結成され、昭和28年5月京都大会の復活、昭和29年11月宮崎市に於ける第1回東西対抗剣道大会などがある。
武道に励む者、人の上に立たんとする者、「辛棒」が第一、如何に能力があっても人並の努力でなく、他人の倍も、否百倍も努力してこそ傑出するもの、どんなに苦しくとも「この棒を(辛棒)抱きて耐えしのぶべし」とは師の教へである。昭和18年より昭和21年まで 武徳会支部理事・剣道主任教授の職にあった事が(公職追放令の)G項に該当、公職追放となり昭和26年解除になるまで耐へしのび、西宮大会以来、天下晴れての修業、全剣連役員警察師範・県連理事長・尚徳会館長などの職に就き、剣道発展と指導に専念し、恩師の教への棒を胸に抱いて精進している。
*現代剣道百家箴は、1972(昭和47)年、全剣連20周年記念事業の一つとして企画された刊行物です。詳しくは「現代剣道百家箴の再掲載にあたり」をご覧ください。