図 書
現代剣道百家箴
馬鹿に成り切れ
小城 満睦(剣道範士九段)
私が武徳会本部で剣道修業に打ち込んだのは、大正初期の頃で、内藤高治、門奈正両先生をはじめ10人の先生方が揃って居られて一番充実した時代であった。
午前午後と猛烈な稽古が繰り返された。突く投げる組打ちと物凄いもので終って帯を結ぶと手がまわらぬこともあった。
私は先生の教えを守って夫れ迄の自分の稽古をスッカリ捨てて、1年間馬鹿正直に打込み切返しばかりを続けた。利巧な人は隠れて地稽古をやって居るのもあった。地稽古は打ったり打たれたりの興味があるが切返しは単調で面白くも何とも無い。然し言わるる儘に1年間やり通した。昔から打込み3年と言われて居る。夫れから懸かり稽古に、進んで地稽古にと順を追うて這入ったので、初めに打込み切返しで基礎が充分出来ていたから、昇段審査毎に好調で19才の2学期には実科を卒業した。天龍寺の有名な(橋本)峨山和尚は座禅の傍作務の無い時は庭の石を動かして元の通りに据えて置けと馬鹿骨折らせたと謂う。夫れでこそ会下(門下)から相国(寺管長、橋本)独山はじめ天下の宗匠が楽出したものである。その頃南禅寺正的院に武徳会創設の楠正位先生が居られて其水南塾に斎村五郎、大島治喜太両先生の驥尾(駿馬の尾)に附して王陽明の伝習録等を聴講したが、先生は折りにふれては剣道を修めるにも学問するにも馬鹿に成って遺れと諭されたものである。
剣の技は人間形成の一端の方便である。電撃石火、剣刃上に懸命して真理を究めるところにその要諦が在る。剣は心なりと謂うは此処に在るのである。万法帰一、先生はよく一刀万刀を生じ、万刀一刀に帰す。と説かれた、只一本である。この一本が大は方所を絶し、細は微塵に入るの只一本である。
先師は剣道は常に日常生活と一致すべきを説き実践し剣道は平常心なることを諭した。
山岡鉄舟先生も剣道者平常心也と、達人の言は一にして間を容れないものである。
勝海舟の氷川清話に、区々たる世間の毀誉褒貶に気を遣うようでは到底しかたのないことである。小にしては刺客、暴徒の厄を免がれ、 大にしては維新瓦解の難局に処して綽々の余裕をもって善処し得たのは、剣術と禅学の二道より得来ったものである。と言っている。是れ真の作家の言と謂うべく、学剣の人々の穿索反芻すべき処であろう。
剣術遣いの小手先技のみに長けたのでは単なる熱錬工たるを免がれず宜しく目的を高処の正しきに置いて古徳の勝躅(すぐれた事績)を再思して只々精進努力、先覚良師に教えを求めて孜々として(熱心に)汗を流すことである。馬鹿に成って成り切って遣り貫くことである。馬鹿に成って遺れと謂う教えは有難いことである。千斤の重量がある。
*現代剣道百家箴は、1972(昭和47)年、全剣連20周年記念事業の一つとして企画された刊行物です。詳しくは「現代剣道百家箴の再掲載にあたり」をご覧ください。