図 書
現代剣道百家箴
剣の徳
楠見 義治(剣道範士八段)
私は幼にして父に死別し、我が家の後継者で只一人の男子であったが、不幸虚弱な生れにて家族の不安が甚だしく、何か運動をさせては如何かと云ふことで、13歳の時大日本武徳会和歌山支部剣道部に入門して初めて竹刀を手にしたが、興味が出て三度の食事も忘れ剣道に熱中した。偶々武徳会支部の監督者からお前の剣道は至極性質がよいが、将来剣道の先生となる気はないかと申されたので、更に得意になって一生懸命精進するようになり、20歳の時和歌山中学校剣道助教になり、23歳の時大阪府立岸和田中学校剣道教師に就任し、爾後25年間在任したが、敗戦により退職した。昭和27年剣道解禁に至る間は数回何かと転職したが、其の間の苦労は言語に尽せないものがあったが、剣道精神を以て貫徹した。剣道解禁後は高校及び警察の教師として現在に至った。
永年に亘る剣道修練には、常に武士道精神の体得と克己心の養成に専念した。
虚弱であった身体も剣道修業によって強健となり、今尚少年剣道指導に当っている。思うに70餘歳になって尚且つ出来得るスポーツは他にはなく、剣道一筋に生きた幸福を痛感している。
永年に亙る剣道普及に功績ありとして昭和46年11月3日付を以て勲五等に叙し瑞宝章を授与せられたのは身に余る光栄であった。11月12日国立大劇場に於いて伝達式があり、式後皇居に参内して豊明殿に昇殿を許され、至近の距離にて、天皇陛下の御尊顔を拝し「皆は永年国家の為に尽力した人々であって今後は特に健康に留意せよ」との有難きお言葉を賜わり、感激に堪えなかった。此の光栄に浴したのも剣道一筋に精進した賜ものにて終生この感激を忘れることなく、皇恩と今は亡き恩師の大恩に酬ゆる為に一層剣道の発展に尽力する覚悟である。
現今、少年剣道及び女子剣道の隆盛は戦前には見ることの出来ない隆昌で剣道界として悦ぶべことである。今日スポーツとしての剣道には諸説紛々たるものがあるが、要するに只勝敗のみに重きを置かず、やはり日本武士道及び道徳の根源を築き上げた剣道として忠孝を本義となし、人格の養成に資せねばならないと思考する。
*現代剣道百家箴は、1972(昭和47)年、全剣連20周年記念事業の一つとして企画された刊行物です。詳しくは「現代剣道百家箴の再掲載にあたり」をご覧ください。