図 書
現代剣道百家箴
尊い体験
小島 主(剣道範士八段)
敗戦後、満洲新京(現長春)から引揚げ、栃木県鬼怒川温泉の奥、海抜千百米の山中に満7年間開拓百姓として入植した。
「清く、正しく、強く」を信条として剣一筋に生きて来た私には、戦後の腐敗した闇屋の生活は出来ない。その間晴耕雨読の毎日であったが朝夕必ず立木を相手に剣道形の独習を一日も欠かしたことがなかった。又、一日幾千回振り下す一鍬一鍬を、切り返し練習と心得、心魂を込め実行したものである。それは、前後10年間の空白を埋めるどころか得た境地は二度と再び得難い修練の場であった。当時の新聞紙上に「昭和の宮本武蔵、磯畑伴造(講談などで新陰流の使い手とされる)山に籠もる」と書かれたものだ。形独習による戦後の剣道を続けてきた私は、剣道修業に形を最重要視するようになった。
一本目は相上段。二本目は相中段。三本目はどうと、形を気にしてやってる内は形にとらわれてこちこちの形になり、心身体の自由を失い、形の型に終りがちだが、それが無の境地になり、水の流れる如くさらさらと形が演ぜられるようになれば姿勢、間合、手の内、気位等々、風格ある剣が生れてくる。一本一本の形から変化する技を稽古に、試合に、如何に実地に應用するかを研究すべきである。
試合後、稽古後、審判後、帰宅して必ず反省検討することにしているが、打ちっぱなし、打たれっぱなし、審判しっぱなしでは進歩向上はあり得ない。快心の打突を出した場合、文句なく打突された場合、審判の可否は細心に反省検討研究すべきである。このことは今も怠ることなく実行している。
信 条 「清く、正しく、強く」剣一筋に生きぬくことが私の信条である。
先生、先輩の稽古試合は、全神経を集中して見学するが、如何に勝れた技も決して真似しようとは思わない。又真似した経験もない。各人各様、体力、能力、研究修業の度合もちがうし、器用、不器用の差もある。自分独自の技を生み出し、小島独自の剣道を完成したい。
酒で開眼 若いころから酒は相手次第でよく飲み、強くもあった。或る時、先輩(柔道)の実力者(今は故人)と二人で飲んでいた。先輩曰く「君、酒はうまいか。」と「いや、別にうまくない。相手がないと一滴も飲まないよ。」「君と飲んでいるとどうも気分に余裕がもてず窮屈でかなわん。君のは酔うまい、崩れまい、乱れまい、と酒を殺して飲んでいる。酒に飲まれて乱れない人間でないと大成せんよ。」と訓された。その後は酒を飲んでも気が楽になり、酒もうまくなったが、量は少なくなった。
剣道も同じこと、打とう、打たれまい。勝とう、負けまい。と肩肘張ってやってる間は、気があせり畏縮し、伸び伸びした無心の技は出ない。へとへと、くたくたになるまで、心身を鍛えて、なお崩れない剣道こそ、真の道と喝破したが僻目だろうか。
*現代剣道百家箴は、1972(昭和47)年、全剣連20周年記念事業の一つとして企画された刊行物です。詳しくは「現代剣道百家箴の再掲載にあたり」をご覧ください。