図 書
現代剣道百家箴
栴檀
定久 壽元(剣道範士八段)
昭和16年11月、文部省長期講習もおわりに近いある日、所は東京高等師範学校道場、全国都道府県中学校剣道科教員代表50余人―講師10余人。
術理の講義も一応おわり地げい古ということになった。その時黒のけいこ衣袴に悠然として温顔にえみをたたえながらわれわれの前に立たれた老先生があった。
かねて大先生から一手の指南をと念願していた私はこの時とばかり、この老先生に「先生=一刀流三角矩についてご教示を… 」と願い出た。「さァ…打っておいでなさい…」と防具に身を固めている私の前に素面素甲手のまま中段の構、私も中段、互いに剣先五寸の間をとって立ち向った。
先生はそのまま静かに両眼を閉じていられる。どこにも寸分の隙もない―眼をつぶっていられる先生の剣先が、私の眼前にチラつくばかりでかけ声さえも出ない。私の気分は焦燥に似たものを覚え、やがて息切れがし、背筋に冷たいものさえ感じて来た。その間2分「先生ありがとうご座いました…」「おわかりになりましたか?」私はひきさがった。
両眼を閉じていられる先生の心眼は開いているのだ。私が気合をかけたトタンに先生の竹刀は私の面上にのびるのだ。「敵の気合によって敵を斬る」それが小野派一刀流三角矩極意の構なのだ。
幼少4才にして忍(おし)松平藩主の前で、祖父苗正翁と真剣をもって形を打ち、山岡鉄舟先生の門に入り、後、東京高等師範学校勅任教授として日本剣道界の第一人者とうたわれ、秩父水滸伝によって後世に名を残されたわが国剣道界の恩人、範士高野佐三郎先生80才のお姿であった。
4才にして形を打たれ、80才なお且つ、矍鑠として全国中学校教員の指導をせらるる範士こそ正に栴檀は双葉より香んばしと云うべきであろう。
私は曽って先生から頂いた「水流先不争」の書幅を壁間に掲げては瞻仰味読し、常に反省の資とし、また往年の先生のおもかげを偲んでは自らの老軀に鞭打ち「形無きを視、声無きに聴く」剣の妙諦を深く探ね求むることに日夜努力している。
近 詠 浩宮徳仁親王剣道にいそしまる
破邪の剣学び修めてよき日本つくり統べませ浩宮さま
皆勤賞獲させし皇子の鋭心に国のゆくてを頼まむとする
*現代剣道百家箴は、1972(昭和47)年、全剣連20周年記念事業の一つとして企画された刊行物です。詳しくは「現代剣道百家箴の再掲載にあたり」をご覧ください。