図 書
現代剣道百家箴
剣道と私
佐藤 寒山(文学博士/財団法人刀剣博物館副館長)
私は山形県鶴岡という酒井左衛門尉家の城下町に、いわゆる貧乏士族の長男として、明治40年呱々の声をあげました(生まれました)。
小学校に入学して間もなく、町の小さな道場で剣道を学び始め、それから中学校、大学と剣道部で過ごして参りました。私の学んだ大学は、國學院大學ですが、当時やっと学生剣道連盟が諸先輩の手で出来あがって間もない頃で、私も何年間かその理事として働かせて頂きました。
こうした学生剣道界での生活が、実は私を人間に育てあげてくれたのです。それは、大学の剣道部を統卒してゆくことのむずかしさであり、正しい軌道に添って、われも人も生活し、成長してゆくむずかしさを教えてくれたのです。
更には、広く学生剣道連盟における他の学生諸君との交渉は、私の人生に大きな刺激を与えてくれました。そして次第に社会を見つめ、いろいろと考えることを教えてくれました。
そして、如何に小さな社会といっても、一つの組織は組織であり、わが大学の剣道部とともに、学生剣道連盟を如何にして育て、如何にして後輩にバトンタッチするかということは、常に忘れませんでした。
こうした仕事には最も大切なことが責任感であろうと思います。私はこうして知らず識らずの間に、自分の責任というものを知り、それを大切にするという精神が養われました。
更に人間である以上、種々な感情問題や人間関係が生じます。これ等の問題を如何に処理するかということが大切な課題で、最良と信ずる判断によって処理する必要があります。判断と同時に決断、これも剣道を学んで身についた私の最大、最高の宝物です。
こうして考えてみると、今日ある所以は、全く剣道を学んだおかげであると常に感謝しております。殆ど竹刀を握ることもなくなった今日でも、私は信念を持って事に処し、世に処しております。そして私は常に「剣は人なり」と信じています。すなわち人正しければ剣もまた正しいということであり、剣風は直ちに人間の人格をそのままに現わします。
今日、剣道は日本人の古典スポーツとして、愈々盛況を見つつあることは最も嬉しいことであり、有りがたいことと思っております。
剣道に限らず、本当のスポーツマンの心構えや、人生修業は、或いは皆同じものかも知れません。しかし、私は剣道こそ日本人に最も適した人間完成の道であり、剣道という呼び名から、スポーツと呼ばれる今日でも、また今後でも、 単なる勝負の具とすることなく、きびしい人間修業の道として、忘れてはならぬと同時に、これを学ぶことによって、更に大きなファイト、人生への大きなかけを忘れてはならぬと考えています。
*現代剣道百家箴は、1972(昭和47)年、全剣連20周年記念事業の一つとして企画された刊行物です。詳しくは「現代剣道百家箴の再掲載にあたり」をご覧ください。