図 書
現代剣道百家箴
私の体験
鷹尾 敏文(剣道範士八段)
第1回全日本剣道選手権大会の時である。偶々予選に勝って出場することになったのであるが、私自身、その年の国体に出る試合練習のつもりの予選参加という軽い気持であった。平素練習に恵まれない片田舎の私は丁度農繁の秋でもあって、(僅かではあるが秋の取入れの手伝いをしていた。)1ヶ月余りも稽古をしないまま、前日夜行列車で一人上京、当日の朝着いてそのまま会場へ。その時は蔵前の国技館だった。稽古はしておらず、後進県からの私には自信のかけらもなければ、根性もない。それこそ唯「参加すること」への意義を感じていただけで、1万を超える観衆も組まされた相手も全く意識せずに試合に臨み、1回戦、2回戦、3回戦を坦々として勝ち抜いてしまった。事実、いつの間にか勝ってしまっていた、という感じだった。愈々準々決勝、56名の選手から8名の中に残った時、そして見ず知らずの人々から声援、激励の言葉を聞いた時、ふと我を見出し自分を意識し出した。大優勝旗が目につく。カップが並んでいる。「もしかしたら俺にだって……」こんな妄想と欲が私の心をゆさぶる。「相手はどんな人だろう」気になる。目を閉じて心を落ちつけることにつとめればつとめるほど胸が高鳴る。立ち上がって竹刀を合わせた。相手は非常に大きく見える。剣先は私のすべてを抑圧する。「コワイ」「このままでは打たれるより外にない」そんな心の錯そうしたままとびこんでいった。勿論失敗で逆に一本を返されて「二本目」相変らず恐怖心と焦りの中で二合三合。勝てる筈がない。完敗である。今にして思えばそれは当然の事には違いないが、その内容が問題である。この試合直前から起った自我の意識、勝負への拘泥、之らが疑心となり、恐怖心となり、惑いとなって――。それまでに発し得た無心の剣を自らの心で制御してしまったものである。恐らく人の目には随分みにくい敗け方であったろうと今も尚冷汗を覚える。それから後もいくつかの試合に出たが、滅多に褒められることのない私ながら、時たまお褒めの言葉を頂だいすることがある。その時の自分を顧みると、矢張り無心に発した業であり、作為しての打ちには自らは満足感をもっても人は決してほめてはくれない。「思無邪」の尊さを今更のように肝に銘じるのである。
敵をただ打つと思ふな身を守れ 自ら洩る賤が家の月
*註 思無邪(おもいよこしまなし)―「邪心がない」の意
*現代剣道百家箴は、1972(昭和47)年、全剣連20周年記念事業の一つとして企画された刊行物です。詳しくは「現代剣道百家箴の再掲載にあたり」をご覧ください。