図 書
現代剣道百家箴
母校小牛田農林剣道部
基礎づくりの遠藤、乳井の両先生
高橋 要(剣道教士八段/全剣連理事)
「剣道小牛田」草深い東北の一寒村に過ぎなかった小牛田町(現・宮城県遠田郡美里町)は、社会的に刺戟の少ない温和な農村であったが、スポーツ不振の地にあって、全国最高の水準にまで到達した母校剣道部の功績は極めて顕著なものがある。しかしそれはローマは一日にしてならずのたとえの通り今日まで70年近い歳月の流れがある。
明治41年剣道部が創設され、遠藤部長、乳井師範の大正12年頃から頭角を現すようになった。
遠藤勝蔵先生は、明治38年母校を卒業直ちに助手となり、以来剣道部発展のためその全生涯を棒げたといっていい。特に、先生は大正8年より昭和14年まで剣道部長として家庭経済を度外視し、寝食を忘れ、自宅を選手に解放し、教師と生徒、生徒相互の人間関係を深め、特に精神修養に心をそそいだ。こういう精神的基盤が剣道部の伝統を築き上げる原動力となった。
乳井義輝先生と母校との縁は東京大震災の年、つまり大正12年にさかのぼる。高野佐三郎範士の秘蔵弟子で弱冠18才の時東北武者修業時代の時である。爾来50年、今なお御指導を頂き、この間半世紀にわたって教えをうけた生徒は、高橋英八段以下2千数百名。霜の朝も雪の夕も生徒に臨まれる態度は極めて峻厳なものがあったが、その内面には春の日の暖さがあり、常に適確な技術の指導にあたられ、昭和4年9月22日東京高等師範主催全国中学校剣道大会、(参加94校得点法)に於いて、宿敵秋田中学を退け、ついに初の全国優勝をなしとげ、翌23日早稲田大学主催全国中等学校剣道大会、(参加83校勝抜法)にも、秋田商業を破り優勝した。(選手は手島浪夫、鎌田茂、佐々木恭三郎、石川三郎、佐藤稔)
昭和28年からは年3回の長期休業(夏季休業、年末年始休業、学年末休業)には、仙台の自宅内道場に合宿させ、自ら生活面と特に適正な技術面の指導にあたられた。
遠藤、乳井両先生の精神と技術の指導によって得た赫々たる戦績を記することにしよう。
大正12年より昭和47年6月まで
成 績
出場大会 | 出場数 | 優 勝 | 準優勝 |
---|---|---|---|
県下大会 | 89 | 73 | 3 |
東北大会 | 49 | 28 | 10 |
全国大会 | 41 | 5 | 9 |
戦後優勝
- 昭和34年 熊本インターハイ
- 昭和36年 秋田国体
- 昭和39年 新潟国体
昭和37年1月、東北地方の体育を振興された功績により河北文化賞受賞。
インターハイ 出場18回。
*現代剣道百家箴は、1972(昭和47)年、全剣連20周年記念事業の一つとして企画された刊行物です。詳しくは「現代剣道百家箴の再掲載にあたり」をご覧ください。