図 書
現代剣道百家箴
剣道大成への必須条件
滝沢 光三(剣道範士八段)
戦前の剣道の練習法は、一にも稽古、二にも稽古といわれ鍛錬という厳しい練習に重点がおかれ試合は第二義的に考えられていた。ところが戦後における練習法は勝敗に重点がおかれて試合本位の練習が支配的になってきている。
剣道の練習が試合本位になり過ぎると基本からはずれた小手先きの剣道になるおそれがあることを心しなくてはならない。
現在でも一般、学生を問わず全国的規模の大会において優勝するような選手は論外なく基本が身についた地味な選手が多いといえる。
戦前のように鍛錬的練習にのみ重点をおきすぎても現代の剣道人には受け入れられないであろう、だからといって試合本位の小手先きのわざであってはならない。練ることのみに片寄らず、また試合本位の練習にも片寄らない両者の長所を取り入れた現代的指導法の確立こそ剣道指導上の重要な課題である。
剣道で基本が身についているということは気分一杯に体力をかけて打つ剣道であるといえる。師や先輩がやかましく教えた点である、そのため修業の初歩的段階においては、1年以上も切り返し(注1)と、かかり稽古(注2)の繰り返しであって単純な面白からぬ稽古の連続ではあったが今にして思うと、こうした稽古によって最も基本となる気力、体力が養われたものと自己の経験からもそう信じている。このように当時、切り返し、かかり稽古は基本作りの最もすぐれた練習法として重視されてきたが、現代では試合を重視するのあまり軽く扱かわれている傾向を見るのは憂慮にたえない。
剣道が他のスポーツと異なる一つの特色は生涯体育であることである。このような見地からも、学生生活中だけのものでなく、また職場で義務づけているからというその場限りの剣道でもなく、生涯楽しめる剣道を身につけることがのぞましいのであって、そのためにも初歩的修得段階に於いて充分基本を身につける機会を持つべきである、それがとりもなおさず剣道大成への早道でもあり、生涯楽しめる剣道にも通ずるものである。
剣道は気、剣、体一致のわざで相手を打つことが技術の最高目標である。そのための心の持ち方、わざの巧使(ママ)、体の運用などいずれも昔時から実践を通じて作られた尊い教えが数多くある。例えば、五輪書「打と当るということ」、捨身の精神を教える古歌、一刀流の「一つ勝(切り落し)」等々、こうした古典のすぐれたものを取入れ現代的に修正して、練習法が安全で、かつ能率的であり、しかも、剣道本来の厳しさ、激しさが常に剣道の練習の中に求められるようにすべきである。
注1、切り返しは大きく伸び伸びと、打つ角度は正確に、
注2、かかり稽古は大きく伸び伸びと、間断なく、本立の体の中心を割るように打ち込む。
*現代剣道百家箴は、1972(昭和47)年、全剣連20周年記念事業の一つとして企画された刊行物です。詳しくは「現代剣道百家箴の再掲載にあたり」をご覧ください。