図 書
現代剣道百家箴
体験と信条
芳村 一郎(剣道範士八段)
私は大和法隆寺(奈良県)で生まれ、中学校1年生から島谷八十八先生に、撃剣剣術の時代から剣道を学び、大正12年6月より、大日本武徳会奈良県支部剣道助教、母校県立郡山中学校剣道教授助手嘱託、県警察剣道教養主任として、恩師が逝去された昭和21年6月まで、25年間、師事、剣道の修業に専念した。
島谷先生は、剣聖内藤高治先生に続く、明治、大正、昭和の剣客であった。そのわが師の教えは、心底深く焼きつけられ、尊い体験として私の体内に残っている。
剣道の稽古には「初心忘るべからず、打たれて学べ」の心構えを説かれ、「試合は不レ可レ勝 、不レ可レ敗」明鏡止水の境地で相手と試し合え、 技を競う競技ではない。剣道教師は、修身、道徳の教師と心得よ、「教えるは学ぶの半なり」 自分の修業と心得て稽古せよ。と自分も身を以て実践躬行された。
敗戦で、剣道は追放、私は奈良県警察の技術吏員として、警察官に警棒、警杖操法、逮補術を指導した。
昭和28年、警察剣道教師に、復職任命された。剣道復活、私の心境は一変した。処世に、剣道指導に法隆寺の信徒総代である私は、「聖徳太子御製十七条憲法一曰・以レ和為レ貴」「十七曰・大事不レ可二独断一」迄の各条から、下記の如く、一条一句四文字を拾い、白扇に書写して常に使用拝読している。
◎聖徳太子御憲法 私の信条
以レ 和 為レ 貴 篤 敬二 三 宝一 承レ 詔 必 謹 以レ 禮 為レ 本
絶レ 餐 棄レ 欲 懲レ 悪 勤レ 善 人 各 有レ 任 早 朝 晏 退
信 是 義 本 絶レ 忿 棄レ 瞋 明 察二 功 過一 賊二 歛 百 姓一
勿レ 妨二 公 務一 無レ 有二 嫉 妬一 背レ 私 向レ 公 使レ 民 以レ 時
不レ 可二 獨 断一
劍宗居士 拝書
昭和46年の建国記念日をトし、法隆寺南大門前の松並木東側に、道場を開設「以和貴演武場」と命名、正面に武神を祭り、日の丸国旗と恩師の写真を揚げ、これを拝し、剣道と、その精神を教えている。
◎修業中感得した体験
県立郡山中学校剣道教師嘱託であった、恩師島谷先生が、大正12年、13年、剣道部生徒の、夏の特別稽古に、素振り、打込み、地稽古と、生徒の稽古後、当時助手の私に、面・小手、胴をはずし、素面・素手で、さ!こい!「真剣勝負だ」正眼、下段、大上段と先生に、追いつめられる、さがってはいけない!、仕方なしに、打つ・突く・払らわれ、すかされて試合、稽古終わる。額にはこぶ、喉、小手には赤く青く、刺青したかと思われる、皮下出血の跡が夏中残っていた。
以上は一例であるが、この様な、有難い指導を受けた。私は「恩師の正しい剣道を感得」68才の現在も奈良教育大学剣道講師として、数年後には、小学生、中学生の先生となる学生に指導出来る事、永年修業、体験の結果と信ず。
*現代剣道百家箴は、1972(昭和47)年、全剣連20周年記念事業の一つとして企画された刊行物です。詳しくは「現代剣道百家箴の再掲載にあたり」をご覧ください。