図 書
剣道みちしるべ
第12回 「剣道写真コンテスト」によせて
総務・広報編集小委員会(当時)真砂 威
― 素 直 な 心 ―
「平成20年度(第12回)剣道写真コンテスト」の締め切りが近づいて参りました。今回は、剣技の精神性についてはお休みをいただき、コンテスト応募へのお勧めと、審査の視点についての一端を述べさせていただきます。
「剣道カレンダー」などでおなじみのこの写真〈「デビュー」高橋静夫〉は、昨年の写真コンテスト最優秀作品です。審査会は2007年9月3日、全剣連九段事務所会議室で行われ、武安義光会長、加賀谷誠一副会長、福本修二専務理事、岡本 淳常任理事の立ち会いのもと、審査員は、宮下安弘(東京芸術大学名誉教授)、梶原髙男(日本大学芸術学部写真学科講師)両氏、と小欄筆者も常任理事の立場で名を連ねました。
審査が始まりしばらくして、真っ先に、宮下・梶原両審査員とも、この写真に目をつけられ「これはいい」と取りあげられました。本誌の審査評(2007年10月号)では「…とにかくかわいい。大人と違い表情を作っていないので、とても素直になっています。万人が良いと感じる写真と思います。…」と語っておられます。また、次回応募のポイントとして次のようなコメントをいただいています。「撮るものが限られていると、写真として見せるには、撮る人がそれを解っていないといけません…」。「…写真とは、自然の風景と瞬間をどう切り取るかということに尽きます。…それを人工的に作ると、つまらなくなります。嘘を付いた写真は判ります。観察と発見が大事なのです」。以上、ぜひご参考のうえふるってご応募ください。
筆者は写真の評価能力はありませんが、一剣道人として別の意味でこの作品には、はっと気づかされるものがありました。
それは少女の表情もさることながら、″竹刀を持つ手″にです。剣道をはじめて間がない、この少女の竹刀を持つ手に引きつけられました。何の作為もなく竹刀を持っている手―「これだ!」と。
われわれは一応の基本を習いおぼえ技術を身につける段階で、いろいろ工夫を加えます。が、その途上において知らず識らずに余分なものまでごちゃごちゃ身に纏わせてしまっているところがないでしょうか。「上達している」との思い入れのもと、いつしか竹刀を持つ手は″握りこみ″角張らせているのではないかと、この写真を見て気づかされました。
剣道の技術は他の競技スポーツと比較して非常に難しいものがあります。テレビなどでフィギュアスケートや体操競技などを見て、とても人間業とは思えない見事な美技に感動します。が、選手の年齢は10代から20代前半がほとんどです。ということは、そのワザをつくり上げるのに費やした年数でいうと、10年そこそこといえます。もちろん修錬の密度に濃淡の差はありましょうが、ふつう剣道で10年の修業といえば、まだまだ″かけだし″といわれる技量の域を出ないのが現実です。それだけに剣道の技術は難しく、技のつくり上げには相当の年月がかかります。その難しさは第一に、 一本の竹刀を双手で把持して行うところにあります。それはすなわち両手の自由が奪われているということです。両手で柄をつかみ束縛された状態のまま進退自在に動くこと自体、非常に困難を要することです。しかもその竹刀の剣先を利かす、払う、すり上げる、おさえる、すり込む、打つ、突くなど使いこなしながら懸待一致の攻防を目指そうとするわけです。そこに剣道の奥深さがあります。筋力や瞬発力、反射神経といった身体機能そのものより、後天的につくり上げられた技能の巧拙がものを言うのです。ですから文字どおり「老若男女一堂に会する」世界が剣道には存在します。また、段位の審査などにおいては男女混合で実施するのが常です。その男女混合を可能にしているのは性差、年齢差、体力差を超えた「双手剣の理」にあるといえましょう。
竹刀を持つ手が″握り手″になると、たちまち身体全体がこわばって相手の意のままにされてしまいます。読者の皆さん、いまひとつこの少女のような、握らずに持つ″素直″な手への回帰を心がけてみませんか。
(つづく)
二刀も認められてはいるが、やや異種的な扱いになっている。
本誌2008年5・6月号[「剣道指導の心構え」の現場への普及と展開を目指して]参照。
*この『剣道みちしるべ』は、2007年8月〜2010年1月まで30回に渡り月刊「剣窓」に連載したものを再掲載しています。