
図書
『令和版剣道百家箴』
「謝四恩 人間は一人で生きてはいけない」
剣道範士 岩立 三郎(千葉県)
剣道が好きになる指導を心がける
私は今年、85歳になりました。剣道人生も70年になりました。わたしが館長を務める松戸の松風館や尚美学園大学で今も変わらず稽古を続けています。
さて、全日本剣道連盟より『令和版剣道百家箴』と題し、「現代の剣道における課題」と「将来の剣道愛好者に伝えたいこと」という大変難しいテーマをいただきました。
現代の剣道における課題については、何といっても少子高齢化社会に剣道界がどう対応していくかに尽きると思います。剣道をする人がいなくなってしまったら、いくら素晴らしい文化であっても継承者がいなくなってしまいます。
私は28歳で千葉県警察剣道特練を退き、その後、10年間は一般の警察官として仕事をしていました。その間、剣道は知人に少年剣道の手伝いを頼まれ、松戸市内で剣道指導をはじめました。もともと子供は好きでしたので、少年指導に没頭しました。指導は勤務終了後に行なっていましたが、子供全員に面を打たせていました。やはり「先生」といわれる人たちも、面をつけて元に立って稽古をするのが大原則だと思います。
面を打たせる指導は負担が大きくかかりますが、子供たちの「先生」に対する意識、剣道に対する意識が高まったようで、30年以上たった現在も付き合いが続いている人もいます。面をつけてこそ、真の稽古がつけられるし、本当の意味での師弟関係という絆ができるのかもしれません。
ある時、懇意にしていた地元農家の方が、空いていた土地を道場の建設用地として提供してくださることになりました。私は銀行からお金を借り入れ、平屋の道場を建てました。昭和53年のことです。
当初は少年剣道をメインに行なっていたのですが、道場を建ててから9年後、この土地にマンションを建てることになりました。一階部分を道場として建設してくださり、いまの道場が完成しました。この道場に対し、毎月、家賃をお支払いすることとなり、一般剣士たちからも月々の会費をいただくことになりました。そこで、一般剣士の方々に満足いただけるような稽古にも取り組む必要が生じ、基本の稽古日をつくるなどして、大人の方を対象に、稽古をするようになりました。現在、少年指導は松戸市内2つの警察署で指導を続けております。松風館は生涯学習としての剣道場となりました
私は全日本剣道道場連盟の副会長をおおせつかっています。道場連盟の加盟数は横ばいですが、地元松戸市などの剣道大会に顔を出すと参加チームは減っています。少子高齢化が進んでいるので、子供の絶対数が減っており、仕方のない部分もありますが、減少率をより加速的に減らすことはなんとしても食い止めなければなりません。
いま、私の孫世代の若手剣道指導者が必死に人口を増やそうとしてくれています。強くすることも大事ですが、まずは剣道を心から好きになってもらうこと。勝つことは剣道継続の理由の一つではありますが、どんな大会でも優勝者は一人、もしくは一団体です。好きになるから剣道を続けてくれるので、私はその取り組みを心から支援をしていきたいと考えています。
指導者から学び、実力を伸ばす
次に「将来の剣道愛好者に伝えたいこと」について述べます。誌面に限りがありますので、稽古の技術的なものは割愛し、取り組み方について紹介します。
現役世代の剣道愛好家の皆さんは仕事を持ちながら稽古時間を捻出されています。松風館にも仕事が終わったあとに通ってくるお弟子さんがたくさんいますが、頭が下がります。
人間は弱い生きものです。苦難があると現実から逃げたくなります。稽古に関しても「仕事が忙しい」「家庭の事情」など一般社会人は稽古ができない理由はいくらでも作ることができ、また稽古をすることが義務ではありません。稽古から離れていても、問題ないのです。しかし、せっかく続けている剣道ですから、中断することなく、コツコツと続けることが大切です。
私は15歳で剣道をはじめ、85歳になるまで大きな病気やケガもなく剣道を続けてくることができました。
「行く先は悟りか迷いか判らねど後ふりむかず剣の修行を」と元国際武道大学学長の岡 憲次郎先生(範士八段)は修行のあり方をこのような道歌で表現されましたが、私も岡先生の道歌が心に大きく響き、指針のひとつにしています。
剣道はただ稽古をして汗を流しても満足感が得られるものですが、それでは剣道の魅力のわずか一部しか実感できません。
目標を設定し、しかるべき指導者に教えを受けながら実力を伸ばしていくことに大きな魅力があると思います。
私には成田高校の同期生で、千葉県警にも同期で入った斎藤 輝男氏という剣友がいました。斎藤氏は、高校時代はインターハイ予選に先鋒で出場して全勝、最優秀選手に選ばれ、千葉県警察奉職後も早々に機動隊から声がかかり、剣道特練員として第一線で活躍。関東管区警察大会個人戦で準優勝を果たすなど、常に私が目標とする存在でした。八段審査も斎藤氏が私より1年早く合格しています。当時、八段審査は1年に一度しかありませんでしたので、不合格からの1年は斎藤氏の稽古を真似て取り組むようにしました。斎藤氏は八段審査に臨むまでの約2年、特練員を相手に朝稽古で面の打ち込みに励んでいました。一方の私は朝稽古には出ていましたが、彼の面打ちを横目でみつつ、元立ち稽古に終始していました。その努力の差が審査の結果で現われました。
八段審査不合格からの1年は斎藤氏を真似て打ち込みを行ないました。翌年の八段審査に面倒見のよい斎藤氏はずっと付き添ってくれ、一次審査の発表をわざわざ見に行ってくれました。控え室で待つ私に向かって「受かっていたぞ。二次もがんばれ」と激励してくれたことは、合格に向けて大きな力になったのは言うまでもありません。
そこにいるとみんなが喜ぶ人
私は「謝四恩」を座右の銘としています。「四恩に謝す」と読みます。
「人間は一人で生きていく事はできない。多くの人の力添えで人は成長する。その御恩に対し、感謝の念を持とう」という心のあり方の教訓です。
この言葉との出会いは、千葉大学第一外科教室教授であり、習志野病院院長でいらした故 綿貫 重雄先生(剣道教士七段)の叙勲祝でいただいた文鎮に刻まれていたのが最初です。当時、この言葉の意味がわからず、恥を忍んでその意味を尋ねたのですが、真意を知った瞬間、「これだ」と思い、以来、座右の銘としています。
四つの恩は色々な解釈がありますが、剣道修錬の観点から、私は「丈夫に生んでくれた父母への恩、剣道が盛んな日本という国への恩、教え導いてくれた師への恩、共に切磋琢磨してきた剣友への恩」と考えています。両親、日本、師匠、剣友への感謝の念を忘れてはいけません。
そこにいるとみんなが喜ぶ人
そこにいるとみんなの役に立つ人
そこにいないとみんなが困る人
剣道界はそのような剣道人を求めていると思います。私もそのような剣道人になるべく努力していますが、まだまだ反省すべき点が多々あります。ただ、冒頭に申し上げた通り剣道修行に終わりはありません。「謝四恩」の気持ちを忘れずに稽古を重ねたいと思います。(受付日:令和6年8月1日)
*『令和版剣道百家箴』は、2025年1月より、全剣連ホームページに掲載しております。詳しくは「はじめに」をご覧ください。