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図書
『令和版剣道百家箴』
「私と剣道」
剣道範士 加藤 浩二(東京都)
現在すでに84才を過ぎた。このごろ若き修業時代の昔を顧みるにその時代にたがいに切磋琢磨した仲間も故人になったり、剣道界から去っていったことを思うと淋しく感慨無量なるものがある。剣道には剣を抜いて生死を懸けて戦うという歴史があり剣理を根源とした精神と技を厳しく修業するという原点があります。
私はその本質を求め「竹刀という剣」でいかに真剣勝負を体現できるか相互に対峙した時の心境、緊迫感を胸に秘めて、気力いっぱいの一振りが「有効打突(一本)」になるかを修業してきました。
「剣道との出会」
秋田市立秋田商業高等学校に入学と同時に15才で剣道部に入部し、18才で上京し皇宮護衛官を拝命し皇居にある済寧館という道場で剣の道に入り、42年間修業しました。
この道場は天皇皇后および皇太子その他の皇族の護衛と皇居御所御用邸等の警備を専門に行う皇宮警察本部の護衛官が鍛錬する道場として明治16年(1883年) に創設された道場です。ここには日本を代表する高段者、持田 盛二(範士十段)を始めとする専門家の先生方が集って稽古されておりました。私も特練生として各先生方に稽古を頂きました。
先生方は戦前に鍛えられた剣であり、敗戦後の剣道禁止されてからの復活した時代だったためか剣道に対す情熱、厳しさ、激しさで容赦なく鍛えられました。そこには理屈抜きでたたかれ、がむしゃらに稽古するしかありませんでした。私もいつかあの先生方のように強い先生になりたい一念が燃え上がり、「人並みの稽古ではだめだ」と自覚し、皇居に近い、持田範士十段が指導していた、「妙義道場」「講談社(野間道場)」「三菱道場」の朝稽古に参加させて頂き、稽古しました。ここに通って来る高段者の先生方も求道心に燃えている先生方で真剣そのものでした。その中で無我夢中で一日に4回も場所を変えて各大学に出稽古、遠征では全国各地を回りいろいろな先生方に稽古をつけてもらいました。特に羽賀 準一、乳井 義男の両先生には厳しく苦しい息が続かなくなる心身の限界まで稽古をつけてもらいました。済寧館の恩師である佐藤 貞雄(範士九段)先生にはいつも息の上がる稽古しろ、雲水のように何処でも良い師を求めて修業しろと諭され、稽古しました。
その甲斐あってか、全日本選手権大会東京代表として初出場。全日本都道府県大会、全日本東西対抗剣道大会、明治村大会、全国警察官大会B組優勝等を果たすことができました。以上のような勝負の世界から指導者としても修業が始まりました。日本武道館武道学園講師として指導の仕方を教えていただいた湯野 正憲先生の人柄、生き様は大変魅力的で単なる競技剣道でなく、生涯剣道に結びつく生き方、剣の理を極める実践者として体現されていました。その本質は、沢木興道老師のとかれた、「剣道は自分の生命を取ろうと思って迫ってくる相手を目前にして、方便に従い時に勝敗を試み、今ここでの精いっぱいの自己を瞬間瞬間に創造するのである」を常に意識していたのを覚えています。
この教えを支えに、今を精いっぱい生きる指導を学ぶことができました。40才代に入ると、全日本剣道連盟からフランスに剣道指導講師として派遣され、7ヶ月間言葉もなにもわからない中、パリを中心に生活しながら日本という国はどんな国であるか、自分とは何かなどいろいろ考えさせられ、人生観が大きく変わりました。又妻も同行してくれ心強く、剣道指導に専念できたことに感謝しています。
帰国後も剣縁のありがたさを得て多くの国々に派遣されるたびに異国文化の人々と剣道を通じて交流を図りました。日本の先人たちが残した日本伝統文化である剣道を指導して回ることができた貴重な経験となりました。
定年退職後は一段と忙しくなりました。慶応義塾大の剣道部師範となり、学生の剣道の真剣な取組、伝統の行事に携わりました。東京都剣道連盟常任理事、事業委員長を歴任した際には、平成13年に都剣連の創立50周年記念大会が行われました。その折に三笠宮寬仁親王、同妃両殿下にご臨席いただいたのがご縁で、「寬仁親王杯剣道八段選抜大会」が実現し、これに携わることができました。海外指導においてもヨーロッパゾーン、アジアゾーン、アメリカゾーンで審判法や指導法講習に努めました。さらにブラジル(サンパウロ)で開催された第14回世界大会では、日本チームの男子監督として、選手とともに一丸となって苦しい強化合宿に励みました。その結果優勝することができました。
こうして青年時代、特に60才代・70才代を振り返ってみると、非常に充実した指導経験を積むことができたと感じています。特に全剣連での後援講習会で全国各地を回って指導できたことも剣道のおかげと感謝しております。
終わりにこのようにその時その場所で真剣に稽古して交剣知愛の言葉通り剣道修業ができたことに感謝しています。
これから年を取っても楽しめる剣道、80才を過ぎてからわかってきたように思う。特に持田 盛二範士十段先生の言葉通り基本を身につけるのに50年かかった。自分は基本に即した打突が思うようになるまで修業している。それにはまず技に習熟し気を練り、間合を知ってあとは案山子のように立って、打つべき時は打ち、さばく時はさばき、自然に美しい気品、気位をめざして修業している日々である。これから剣道を始める人、剣道を続けている人、今ここに精いっぱい自分を出し切ることが充実した自分の人生になると思う。結びとします。(受付日:令和6年7月27日)
*『令和版剣道百家箴』は、2025年1月より、全剣連ホームページに掲載しております。詳しくは「はじめに」をご覧ください。