
図書
『令和版剣道百家箴』
「61歳からの挑戦」
剣道範士 河野 修一郎(兵庫県)
はじめに
私は現在85歳です。体力は衰えましたが日常生活に不安なく過ごせているのは、剣道を続けていたお陰と感謝しています。
剣道は、昭和34年国士舘大学入学後、本格的な指導を受けたので、ほぼ65年になります。兵庫県の教員として勤務していた時、病気で体調を崩したり、県教育委員会指導主事への異動で、仕事の忙しさを理由に稽古を怠け、剣道を諦めかけた時期もありました。再び真剣に稽古に取り組み始めたのが、教員を定年退職してからです。
老いに向かうなか、剣道八段を目指して稽古に励み、合格の喜びを得られたことが私に達成感を味わわせてくれました。これが退職後の活力となって、健康で有意義な第二の人生を過ごすことができたと思います。
また、私にとっては剣道の集大成にもなったと感じ、執筆の機会を戴いたので、この体験をまとめてみました。
稽古の再開
平成12年定年退職し、縁あって兵庫県剣道連盟事務局に勤務しました。連盟の運営に関わるようになって、自分も稽古しなければとの思いが強くなり、兵庫県剣道連盟の稽古会に参加するようになりました。
稽古を重ねるうちに、体の動きや打突が思いの外、スムーズになったので、先生方に稽古がお願いできるようになりました。稽古にも意欲が湧き、今まで考えもしなかった八段を目指そうという気持ちが強くなっていました。
初めての八段受審
初めて八段を受審したのは61歳の時でした。先の打ちで、思い切って前にでることを心がけました。思いがけず一次実技審査に合格していました。
二次実技審査も同様に立合いましたが、全く通じず不合格でした。その後の審査会でも同じようなことが2回程あり、以後一次実技にも合格できなくなりました。
40歳・50歳代で稽古を怠けていたツケが回ってきたことを痛感しました。
課題をもって稽古に励む
その頃、兵庫県剣道連盟師範の鈴木 康功先生が国体選手強化委員長で、平成18年の兵庫国体開催のため、私も一緒に強化事業を担当していたので、先生に八段受審の助言をお願いしました。
早速、強化選手の稽古会に同行を奨められました。成年男女とも強化選手は県警関係者が主だったので、剣道特練生の稽古に週2回参加しました。
技も速く力強い打突に慣れること、稽古は受身にならず、自ら攻めて先の気持をもって立合うよう助言されました。また、強化選手の県外遠征や合宿などに同行し、他府県の選手や先生方とも稽古する機会を得たのは、大変有難いことでした。お陰様で一次実技合格の機会に恵まれましたが、二次実技では有効打突が打てなくて、相変わらず二次の壁が高く感じられました。
二次実技審査突破を目指して
国体も終わり稽古は県剣連の稽古会が中心でした。稽古の前半は苦手な相手や独特な剣風の方とすすんで稽古し、相手の攻めや技の変化に動じないことを心がけました。後半の稽古は先生方に掛り、気を溜めて打ち切れるような稽古に努めました。稽古の終わりには、面の打ち込みなど基本の厳しい指導も受けました。
さらに、地域の道場へ稽古に週2回ほど通いました。地域には長年稽古を積んだ同年輩のベテランの方が多いので、その方々を相手に、鈴木先生から教えを受けた、初太刀一本、中心を攻めて崩して打つことを心がけ、打突の時は一拍子で面が打てるように、左手・左足に気を集中する稽古に努めました。
平成25年5月、長い年月を要しましたが、73歳で八段に合格できました。
二次実技審査では特段に素晴らしい打ちはできませんでしたが、二人の相手に対し不思議と落ち着いて対応でき、無理なく自分の剣道ができたように感じました。
鈴木先生はじめ県剣連の諸先生方、剣友の皆さんからご指導いただいたことが、立合いで結集して発揮できたのだと思い、感謝で一杯でした。
終わりに
定年退職後は、恵まれた環境のなかで稽古に専念できました。県剣連事務局職員の皆様方にも一方ならぬご支援とご理解をいただき厚くお礼申し上げます。
八段に合格してからは、生涯剣道を目指して稽古を続けていましたが、令和5年5月、図らずも剣道範士を拝受する栄に浴し、身の引き締まる思いであります。さらに修業を続けるよう第三の人生を戴いたように思っています。ありがとうございました。(受付日:令和6年7月16日)
*『令和版剣道百家箴』は、2025年1月より、全剣連ホームページに掲載しております。詳しくは「はじめに」をご覧ください。