剣道の歴史
日本刀の出現
剣道の歴史を遡るとき、その根源は日本刀の出現に求められる。
日本独自とされる反りのある彎刀で鎬造りの刀は、平安時代(794〜1185)の中頃に出現した。その原形は東北地方に住み騎馬戦を得意としていた部族が既に平安時代初期に使っていたといわれる。以来、武士集団に使われ、日本最初の武家政権である鎌倉時代末期に製作技術は飛躍的に進歩した。日本刀の進化とともに反りと鎬を利用した剣術の技も磨かれ、「鎬をけずる」「鍔競り合い」のような一般的な用語にも使われている。
室町時代(1336~1573)
応仁の乱(1467~1477)以降、約100年間に渡って天下は乱れ、剣術においては様々な流派が相次いで成立した。日本では河床に沈積した品質の良い砂鉄を「たたらぶき」で製鉄し刀を鍛造していたが、1543年種子島に鉄砲が伝来すると、短期間に同じ方法で質のよい鉄砲を大量に生産することに成功した。それに伴い、それまでの重装備の戦闘方式は軽装備の白兵戦へと大きく変化した。実戦体験を踏まえて刀を作る技術も高度化・専門化が進み、刃を上に帯刀する「打刀」による洗練された刀法が確立され、新陰流や一刀流などの諸流派に統合されて後世まで継承されている。
江戸時代(1603〜1868)
江戸幕府開府以後は、平和な時代が続き、剣術は人を殺す技術から武士としての人間形成を目指す「活人剣」へと昇華。技術論のみならず生き方に関する心法論が展開された。江戸幕府初期に第三代将軍家光の指南役を務めた柳生宗矩の『兵法家伝書』(1632)、宗矩と交流のあった沢庵が剣と禅に関して解説した『不動智神妙録』、宮本武蔵の『五輪書』(1645)などは、そうした思想を集大成した兵法書である。江戸時代の中期・後期にも各流派の理論書が著され、それぞれ今日でも多くの剣道家に示唆を与える名著になっている。
このような書が武士に問いかけたことは、いかにして死を超越して生に至るかという問題であり、それはそのまま武士の日常生活における教育の柱でもあった。武士はこれらの指導書や教養書を学び、日常生活は厳格で質素を旨とし才能を磨き、武術に励み、善悪を知り、一旦緩急あれば世のため人のために身を捧げることを学んだ。こうした社会で生まれた武士道の精神は「パックス・トクガワーナ」(徳川の平和)と呼ばれる265年余りに及ぶ平和の中で培われ、日本人の心として現代に生きている。
太平の世は剣術において実戦的な刀法から華美な技がつくられていく変容をもたらし、その中で新たな模索も生まれた。直心影流の長沼四郎左衛門国郷が正徳年間(1711~1715)に身を守る道具を用いて竹刀で打突し合う「打込み稽古法」を普及させたことである。これが今日の剣道の直接的な源となり、その後、宝暦年間(1751~1764)に一刀流の中西忠蔵子武が鉄面をつけ、竹具足式の道具を用いた打込み稽古法を採用すると、またたく間に多くの流派に波及した。寛政年間(1789〜1801)には、流派の壁を越えての他流試合も盛んになり、強い相手を求めて武者修行をする者も相次いだ。
こうして江戸時代後期には、「袋しない」よりも腰の強い「四つ割り竹刀」が発明され、胴もなめし革をはり漆で固めたものが開発された。俗に「江戸の三大道場」といわれる千葉周作の玄武館、齋藤弥九郎の練兵館、桃井春藏の士学館などが勇名を馳せた。千葉はまた、竹刀打ち剣術の技の体系化をはかり、打突部位別に技を体系化した「剣術六十八手」を確立した。千葉が命名した「追込面」や「摺揚面」など、様々な技名は今日でもそのまま使われている。
明治時代(1868〜1912)
江戸幕府が終焉し、明治維新を迎えると新政府が設置されて、武士階級は廃止されて帯刀が禁止されたことにより剣術は下火になった。
1877(明治10)年西南の役を契機に警視庁を中心に剣術は復活の兆しが見えはじめ、1895(明治28)年には、武術の保存奨励と武徳の涵養を図る全国組織として大日本武徳会が設立された。また、1899(明治32)年には新渡戸稲造による『武士道』が英文で出版され、今日もなお世界に影響を与えている。
大正時代(1912〜1926)
1912(大正元)年、始めて「剣道」という言葉が使われた「大日本帝国剣道形(のち「日本剣道形」となる)」が制定された。その目的は流派を統合することにより日本刀による技と心を後世に継承すると共に、竹刀打ち剣道の普及による手の内の乱れや、刃筋を無視した打突を正そうとするものであった。竹刀はあくまでも日本刀の代りであるという考え方が生まれ、1919(大正8)年、西久保弘道は「武」本来の目的である修養の意味を強調するために、武術や武芸を「武道」に、剣術や撃剣を「剣道」という名称に統一することを主張した。
第二次世界大戦以降(1945〜)
第二次世界大戦の敗戦(1945)により日本は連合国軍の占領下におかれ、剣道は抑制されていたが、1952(昭和27)年の主権回復後、「全日本剣道連盟」が結成されるとともに「体育・スポーツ」として甦った。その後、剣道の在り方を再考するため、1975(昭和50)年に「剣道の理念」が制定された。また、2007(平成19)年には、教育基本法の改正を踏まえて「剣道指導の心構え(竹刀の本意、礼法、生涯剣道)」が制定された。今日では、学校体育の重要な一部分(武道領域)を構成するとともに老若男女を問わず庶民の間に拡がり、全国で幅広い年齢層の愛好家が稽古に励んでいる。
また、世界各地で剣道を愛好する外国人も増え、1970(昭和45)年には国際剣道連盟(IKFのちにFIK)が結成され、第1回世界剣道選手権大会が日本武道館において開催された。2024(令和6)年7月にはイタリアのミラノにおいて第19回世界剣道選手権大会が開催され、60カ国・地域から選手が参加。そして、2027(令和9)年5月には日本の東京において第20回世界剣道選手権大会の開催が予定されている。