図 書
剣道技術の成り立ち
第3回「踏み込み足」の形成過程(3)
全剣連 広報・資料小委員会 委員長
明治大学 国際日本学部 教授
長尾 進
前号でみたように、幕末の北辰一刀流ではすでに、技に迅速を得るために「踏み込む」ことや「飛び込む」ことが認められていました。ただし、そのことは一定の理合のもとでなされていました。
『千葉周作先生直伝剣術名人法』から、さらに詳しく見て行きましょう。同書「第三 剣術修業心得」の「相下段・相星眼にて向ふの面を打つ節」(原文はカタカナ)には、相手の切先の上がり下がりにかまわず飛び込んで打つというのは甚だ無理であるから、「向ふ(相手)の切先下がりたる処を相図に打つべし」とあります。また、相手は突こう打とうと構えていて、こちらが大きく振りかぶると必ずそこへ打ち突きを出してくるので、「太刀を半ば振り上げ打つべし。勿論、一足一刀に深く踏み込み打つを善しとす」と続きます。
一足一刀に深く踏み込む理由は、「向ふの切先に恐れ、半信半疑に打ち出せば、三本目の突(面抜き突)などに当たるものにて、深く踏み込み打てば、向ふの太刀あまりて突くこと叶はぬ者なり。試めしみるべし。之れ所謂、『切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ踏み込み見れば跡は極楽』と云ふ歌の処なり。依て、兎角猜疑心を去り、一足一刀に打つこと肝要なり」としています。つまり、「猜疑心をもたず、深い踏み込みによる(半分の振りあげでの)面を、一足一刀に打つことによって、相手の剣先や突き技を克服することができる」と説いています。ここには、今日の剣道につながる指導理論の一端がみてとれます。
北辰一刀流におけるこのような考え方は近代に至っても引き継がれ、同流を学んだ内藤高治範士は、「無闇に胴を打たがる。是が悪い。胴といういものは一番打易い。一番打悪い所は、敵に対して面を撃つ(そのため)には体を捨なければならぬ」と述べています(「剣道修行についての心得・上」、『武徳会誌』九、明治43年)。すなわち幕末から近代にかけて、「相手の剣先や突き技を恐れず、体を捨てて、踏み込んで面を打つ」ことに価値が認められるようになったのです。
しかし、体を捨て、踏み込んで面を打てば、そこには「余勢」も発生してきます。そのことに対して(この連載の第1回目で見たように)刀法的観点から明確に否定する考え方もあれば、反対に踏み込み足を剣道技術のひとつとして積極的に位置づけ、その結果として発生する余勢も容認しようとする動きが大正期には生まれ、それらのことが今日にまで続くある種の相克を生んでいます。
現在の『剣道講習会資料』においても、足さばきはあくまで「歩み足・送り足・開き足・継ぎ足」の4つが基本とされています。ただし、現代剣道では多く踏み込み足が用いられていることを追認したうえで、送り足のひとつの発展した形態として踏み込み足の指導法が初級者の段階で示されています。一方、上級者に対しては極端に強い踏み込み足を戒め、送り足・開き足を多用して多彩な応じ技を支える足さばきに習熟することが求められています。こうした捉え方の背景には、打突時の足さばきについても、あくまで「一足一刀に打つ」ことを理想とする考え方が受け継がれているように思われます。
では余勢の問題はどのように捉えたらよいでしょうか。故小森園正雄範士は、踏み込み足と余勢について「右足を踏み込んで打突したら、左足を素早く右足の後ろへ送り込むようにして引き付け、体勢を立て直して打突を極め、以後、余勢に乗って送り足を進める。送り足を進める歩幅は『一歩・半歩・五分…』と狭くして行く」と教導されたとのことです(大矢稔氏編著『冷暖自知―小森園正雄剣道口述録』)。これは、左足の素早い引きつけにより「体勢を立て直して打突を極める」ことに意義があり、それに続く送り足の歩幅を順次狭くして行くことで、必要最小限の余勢で速やかに次の対敵姿勢に移る、という教えです。
この指導法は、小森園先生が、関西の先生方の間で伝わった教えを採り入れられた(編著者である大矢先生談)とのことですが、今日の一部の試合にみられる不必要なまでの余勢や、とってつけたような残心をみるにつけ、一考すべき教えであると思います。
(つづく)
*この『剣道技術の成り立ち』は、2005年10月〜2006年3月まで6回に渡り月刊「剣窓」に連載したものを再掲載しています。