図 書
剣道と「き」
第1回 「現代の剣道を考えるためのキーワード」
全剣連 広報・資料小委員会 委員
埼玉大学 名誉教授
大保木 輝雄
1.現代剣道と「一本」
剣道では、試合における「一本」の有効打突を「充実した気勢、適正な姿勢をもって、竹刀の打突部で打突部位を刃筋正しく打突し、残心あるものとする」と規定しています。これは、「一本」を、それが決まる瞬間に至る経過と打突後の備えを含めて評価していることを表明するものであり、「気剣体一致」といった伝統的な考え方が反映されています。さらに「打つべき機会」を捉えた打突であるかが問題にされています。
昇段審査でも、段位が高くなるにつれ「機会」を捉えた打突の有無が評価の重要な観点となっています。また、「日本剣道形」太刀の部の一本目から七本目まで、打太刀が技を仕掛けるときに、いずれも「機を見て」と表記されています。
剣道では、「機」を見ることを最も重要な課題とし、「一本」は、「機・気」の問題と深く関っているのです。
2.「き」への着目
「機」と「気」との関連は、古くは17世紀に著された近世武芸伝書に見ることができます。柳生宗矩は『兵法家伝書』の中で、「機と云ふは、胸にひかへたもちたり気也。機とは、気也。」と述べています。迫りくる敵からの圧力に屈することなく、敵の心を冷静に察知し、臨機応変に対処するために自分自身の心身の構え(主体)はいかに在るべきか。これは、宗矩以来今日に至るまで、剣術・剣道の共通の課題です。
また18世紀後半に著された『武功論 事理或問』(柏淵有儀著)には、「彼よりも来たるべく、我も行くべき、これを間際(まあひ)と云。彼位を取り、我よりも位を取る。是則ち権際(つりあひ)なり。彼に気あり、我に気有て、機をなさんとす。是所謂気際(きあひ)」と述べています。これは、お互いが一点に集中しながら接近し、勝負にいたるまでの微妙な心身の変化をよく表し伝えています。さらに、相手(彼)と自分(我)との間(あいだ)が、お互いの接近によって「機」を生み、意味ある「勝負の場」を形成していると認識していることも覗い知ることができるのです。
3.剣道の修錬と「き」
相手から強い圧力を感じると自分の心と体に変化が起こり、内的統一性が乱されてしまいますが、調子のよい時や、初心者を前にすると、相手の動きがよく見え、心・足・手が一致して働き、内的統一性が乱されることなく存分に自分の力が発揮されることを私たちはよく知っています。対外的能動性は内的統一性に比例しますから、自分に対し強大な圧力をかけてくる相手との稽古は、とても勉強になります。つまり、自分の内的統一性を崩さない工夫が自己創造につながり、技術のみならず最後は人間性の向上にまでつながっていくのではないかと考えられるのです。自己を再点検・再構築し、自分が工夫したことを試してみる。その繰返しがあってこそ、人としての成長が可能となるのではないでしょうか。
自分に立ち向かってくる相手や事柄に対し、逃げないで対応し、如何に切り抜け、目的を達成するか。そのような力を養成することが剣道修練の主題です。具体的には、稽古の場で、「呼吸」や「姿勢」といった身体性に即し、心と体を一体として働かせている「気力や機をみる能力」の養成が問われるのです。
4.これからの剣道を考えるために
1970年代から、心身の相関性について、心と体を分けて考えず一体として捉える禅や武道などの東洋的な思想が着目され始め、「気」をテーマとした学際的研究を目的とする「人体科学会」が設立されました。初代会長となった湯浅康雄氏(哲学者)は、『気・修行・身体』(平河出版)の中で武道における気の問題について、伝統的身体観は奥が深く、「哲学や経験科学の最も基本的な問題領域にまで関る」内容を含んでいる、と指摘されています。
剣道を学ぶということはどういうことなのか。次回以後、「気」というキーワードを軸にして、剣で生きた先達の足跡を辿ったり、他領域の学者達による気研究の成果を踏まえながら、問題解決の手がかりを探りたいと考えています。日本という土壌が何を育んできたかの確認にもなればいいなと思っています。
(つづく)
*この『剣道と「き」』は、2004年9月〜2005年9月まで12回に渡り月刊「剣窓」に連載したものを再掲載しています。