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剣術(道)歴史読み物
第14回 競技論の系譜2 斯道学会編『運動競技と訓育』
大阪大学 元教授
杉江 正敏
前回とりあげた大正末期は、学校体操教授要目の改正(大正15年5月)に向けて、国家主義を底流としながらも国際協調の理念に沿って、各種の外来運動競技の摂取が試みられた時期です。そのような流れの中で、体育界においては、外来運動競技と武道のそれぞれの長短が検討され、一種の均衡が保たれた時期とも言えましょう。
訓育としてのスポーツにおけるフェアプレーやスポーツマンシップが強調されるとき、武道の側からは、日本的な競技道徳の伝統が、武士道精神の中に存在したとする主張を見ることができます。今回は、大正15(1926)年に斯道学会(修身科を対象とする教育研究会)によって編纂された『運動競技と訓育』という論集をとりあげ、武道の競技論について紹介します。
1、『運動競技と訓育』
斯道学会は、運動競技に関する問題を現代教育界の重要問題の一つとして研究会を開き、機関誌『修身研究』の特別号として、本書を発行することを決定したと述べています。収載著述の内容は、それぞれ重なる箇所もありますが、体育・スポーツ全般について論ぜられたものです。
武道に関しては、「教育上の緊要問題として運動競技に関する研究」や「競技道振作の第一義」などの文中に、「我が国の武士社会は、頗る高い程度の競争道徳を発展せしめておった」や「我が国に伝統的な武芸は、武士の職分・本業といふ極めて厳粛な動機から修行されたものである」などの文言がみられます。
これらの著論(全33編)、の中で最大の34頁を割き、武士道・武芸関係の資料を駆使して著されたのが、亘理章三郎の「武士道と武芸の修行及び其の競技道徳」です。これは後に出版される『日本武徳論』(昭和8年 中文館)の一つの章を構成することになる学究的労作です。また亘理には、大著『丈夫道史論』(昭和17年 金港堂)や『刀及剣道と日本魂』(昭和18年 講談社)などの著作があります。
2、亘理章三郎著「武士道と武芸の修行及び其の競技道徳」
亘理は、序文で、「近來、運動競技の盛んなるに連れて、スポーツマンシップ、運動精神、競技道などいふ語があらはれ、それが我が国の伝統的な武士道精神に合致しなければならぬとか、或は又、我が国、固有の武士道があるから、外国の競技道を借用する必要はないなどいふ説も見える。」と当時の論議の問題点をあげ、次いで、「それで此処には、江戸時代に於ける幕府を始め、諸藩の武術に関する訓誡・訓條等を通じて、其の修行・仕合等に関する道徳が、如何なるものであったかを、研究して見たいと思ふのである。」と、研究の動機を述べています。
その内容は、「修行道」・「道場の心得」など6章から構成されています。ここでは、第6章の「仕合と勝負」から一部を紹介します。
「四、勝負仕合の心得
以上の訓條から、其の要点を列記すると、相手に対する心得としては、一 相手に礼譲を旨とせよ 二 相手をいたはれ 三 勝負を公正にせよ、などいふのであって、其の勝負を公正にする心得として、“相手が納得するやうにせよ”とあるのは、最も徹底的であって、単に規則を楯にするといふよりは、“天晴な勝負の本意”を得たものといふべきである。
己の心の持方としては、
一 相手に礼譲を守るが、心は大胆勇猛で、稽古も何処までも猛烈にして、少しも遠慮するな
二 悪み怒り等の邪念を以て、心を乱すなかれ
三 争心殺気を挾むなかれ
などいふのである。武芸は勝負を争ふ業であって、しかも勝心客気に捉へられると、却て心身の自在を失ひ、其の術を充分に尽くすことが出來なくなる。これ等の主観的方面の工夫に、訓條を立てゝ居るのは頗る注意すべきである。」以下には、「五、勝負の結果に対する心得」「六、他人、他流に対する争論」が、まとめられています。最後に、「かゝる思想が、現代に通じないことは言ふまでもない。武士時代から、進んで国民時代に移った我が国では、武士道の様相形式を其の侭、今日に踏襲すべきでない。それを現代化し、国民化して、更に新な創造発展を加へなければならぬことは、固よりである。」と結んでいます。
(つづく)
註 亘理章三郎 明治6(1873)年、兵庫県に生まれる。自学自習によって国民道徳を専攻する。東京高等師範教授。戦後の消息については、筆者未詳。
*この剣術歴史読み物は、2002年5月〜2003年7月まで3名の筆者によりリレー形式で15回に渡り月刊「剣窓」に連載したものを再掲載しています。
*亘理章三郎『日本武徳論』(中文館書店)の初版は、大正12年。