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武安義光 全剣連最高顧問 永眠

 公益財団法人全日本剣道連盟の武安義光最高顧問は、令和3(2021)年2月28日(日)に逝去されました。享年100歳。葬儀は近親者で執り行われました。
 以上、謹んでご通知いたします。

略 歴

大正9年10月2日生
本籍・広島県福山市
昭和16年12月 東京帝国大学工学部卒業
昭和17年1月 電気庁に入庁
昭和17年5月 陸軍航空技術将校として、満州・ジャワ島を転戦
昭和21年6月 復員、商工省・科学技術庁・通商産業省の要職を歴任
昭和48年7月 科学技術事務次官(昭和50年3月まで)
昭和50年9月 新技術開発事業団理事長(昭和58年8月まで)
昭和59年12月 科学技術会議議員(平成2年まで)
その他、数々の役職に就任し、令和3年2月28日まで新技術振興渡辺記念会理事長を務める。

剣道関係
昭和57年3月 東京都剣連副会長(平成7年6月まで)
昭和59年6月 全剣連常任理事
昭和60年6月 全剣連専務理事
平成5年6月 全剣連副会長兼専務理事
平成9年6月 全剣連会長
平成11年2月 国際剣連会長(平成25年5月まで)
平成25年7月 全剣連最高顧問

武安義光最高顧問のご逝去を悼む

全日本剣道連盟顧問・国際剣道連盟事務総長 佐藤 征夫

 去る2月28日(日)、公益財団法人全日本剣道連盟・武安義光最高顧問が満100歳でご逝去されました。謹んで深甚なる哀悼の意を捧げます。

 武安最高顧問は、全剣連の専務理事・副会長・会長として、長年に亘り、剣道・居合道・杖道の普及・発展に多大な貢献をされました。また、国際剣道連盟(FIK)会長として、剣道等の国際普及にも熱心に取り組まれました。

 全剣連においては、諸規定の制定や改訂、講習会・研修会の立ち上げや充実などにより、剣道等の質の向上に努められただけでなく、財政基盤の強化を図るとともに、広報機能の強化を通して剣道等の普及の基盤を確立されました。とくに専務理事時代には、それまで季刊であった広報誌『剣窓』を月刊にし、全剣連の活動、計画・方針を伝える素晴らしい媒体とされました。会長を退任されるまで自ら「まど」欄を毎月一度も休まずにお書きになったのは超人的で敬服しました。

 FIKにおいては「世界剣道選手権大会」を軸に諸活動を先導し、各国・地域へ出向いて自ら稽古をされ、各地の剣道人に大変敬愛されました。また「国際競技連盟団体」に加入し、「KENDO」を国際的に認知させるとともに、同団体主催の「国際武術大会」では、約80歳も年齢差のある地元の少年剣士相手の稽古を披露し、驚嘆をもって地元紙に報道されました。

 私が最初にお会いしたのは、1970年に、役所の先輩に連れられてお宅に伺った時でした。この時、大学剣道部の後輩である旨伝えたところ、役所近くの朝稽古に誘われ、剣道の再開となりました。その後も仕事に追われながらも細々と稽古を続けられたのは、暫く稽古に行けなかった際などに言われた「明日稽古に行くよ」との配慮あるお言葉でした。2006年のFIK総会で武安会長から事務総長に任命されてからは、朝稽古がご報告・相談の良い機会となりました。剣道以外でも、仕事や留学でのアドバイスや山登り等へのお誘いなど、公私に亙ってこの50年間大変お世話になりましたが、武安最高顧問のお人柄のお蔭で、一度も叱られたり、気まずかったりしたことはありませんでした。

 武安最高顧問は、剣道界だけでなく、科学技術分野でも極めて大きな功績を残されました。科学技術事務次官の後も「科学技術会議」常勤議員、多くの科学技術団体の理事長、会長等を歴任され、多様な分野で先導、貢献されました。約40年前に自らも設立に携わった「新技術振興渡辺記念会」では、亡くなるまで現役で理事長を務められました。

 全剣連専務理事時代にある所で「人生における剣道のあり方には種々のタイプがあろう。段や称号に目の色を変えることもなく、立派な仕事をして社会的に貢献しながら剣道を楽しみ、しかも剣道を通じて周囲に何物かを与えるという生活は、剣道人生の一つの理想であろう」とお書きになられた通りの“生涯剣道”のお手本を、実践でお示しになられました。

 ここに、衷心からの感謝の念を込めてご冥福をお祈り申し上げます。

剣道界と武安義光最高顧問

全日本剣道連盟相談役 福本 修二

 令和3年2月28日(日)に、武安最高顧問がご逝去されたとの報を受け、驚きと無念さで人生の儚さを改めて感じました。平成時代の剣道界における崇高な先駆者であり、指導者であった武安先生に対し、敬意と感謝を申し上げ、衷心よりご冥福をお祈り申し上げます。先生の訃報に接し、国内はもとより世界の剣道人から、生前の業績を称えると共に、哀悼の意が寄せられました。

 武安最高顧問は、昭和60年専務理事、平成5年副会長兼専務理事、平成9年会長に就任し、全剣連の事業計画の基本方針である「活力ある剣道界の実現」「剣道組織の健全な運営と充実」をモットーに労力を注がれ、多くの人が各々の立場・環境で、楽しく充実した剣道を行い、普及につなげることに傾注し、その先見の明と実行力によって、現在の全剣連の基盤を作られました。

 国内においては、各委員会の活動に対して、各界の人材の参画を積極的に図ると共に、信頼して理解を示し、業務を任せました。まず初めに「試合・審判」、次に「称号・段位」制度の再構築と改定を行い、講習会関係では、社会体育指導員の養成、骨太な青年剣士育成のための選抜特別訓練、女子審判講習会等の開催、そして、平成19年には「剣道の理念」「剣道修錬の心構え」に続く「剣道指導の心構え」を制定されました。

 国際においては、外国人指導者夏期講習会・世界剣道選手権大会の充実と支援、KENDOを国際的に認知させた国際競技団体連合への加盟等を推進されました。

 またIT社会の到来を、逸早く予測して情報委員会を設立して、全剣連のホームページ作製と、ドメインネーム(kendo.or.jp)を取得し、事務局職員全員にパソコンを与え、お互いに使用法を研修させて、今日当たり前のように活用できるようになっています。

 武安最高顧問は、持ち前の優しさと包容力で、奥様を始めとしたご家族を大切にされていました。ご自身が100歳になる頃には、東京オリンピックが開催されるので、奥様とご一緒に観覧するのを楽しみにしておられましたが、残念ながら奥様は先にご逝去されており、これからは天国から心置きなく、お二人でオリンピックをご覧になられることと思います。

 私達は、武安最高顧問の示された剣道界に対する精神を受け継ぎ、これからも日本の伝統文化である剣道を大切に、次の時代に受け継いでいきますので見守ってください。

合掌

武安義光最高顧問との思い出

全日本剣道連盟副会長 真砂 威

 昨年の10月2日(金)、武安義光最高顧問は満100歳のお誕生日を迎えられました。

 多摩市のケアセンターに入居しておられましたが、コロナ禍の影響により、このおめでたの日も面会が叶いません。安否を気遣いながらも年を越し、そして3月に入って間もなく訃報に接することとなりました。

 武安最高顧問は、専務理事、会長時代を通じて、剣道史に残る数々の功績を打ち立てられました。私がお仕えした仕事で一番印象に残っているものは、平成9年から約3年かけて行われた称号段位制度改革の中、審査規則の改正作業に同委員会幹事として携わったことです。現在の安定した審査制度はレガシーの一つといえましょう。

 また、平成17年からスタートした剣道選抜特別訓練講習会の立ち上げに普及委員会幹事として関わったことも大きな思い出です。通称「骨太」剣士の呼び名も武安会長がつけられたものです。この骨太の愛称も、将来にわたって幾久しく言い伝えられていくでしょう。

 春の京都での審査会、演武大会では期間中、常宿としておられるホテルで同室させて頂くことを恒例としていた時期もありました。親子ほど年齢が離れた会長との同室は緊張が伴うものですが、数日間、起居を共にすることによって、物事に対する観点や身の処し方について、与えて頂いた教訓は数えきれません。

 長年の言い習わしで、「会長」とお呼びするのが自分にとって一番自然な呼び方です。最高顧問に退かれた後も、会長、会長、とお呼びするのが常でした。

 最後に、いま一度。武安会長、大変お世話になりました。どうぞ安らかにお眠りください。

武安義光最高顧問の逝去を悼む海外剣連からの弔意レター(メール)

 武安義光最高顧問の逝去を悼む弔意レター(メール)が、次の海外剣連から寄せられました(ゾーン別到着順)。

アジアゾーン

 マレーシア・インドネシア・フィリピン・シンガポール・ニュージーランド・韓国・香港・オーストラリア・中国

ヨーロッパゾーン

 ヨーロッパ・チェコ・スロベニア・イスラエル・ベルギー・リトアニア・スペイン・オランダ・イタリア・ドイツ

アメリカゾーン

 コロンビア・アメリカ・ラテンアメリカ・ブラジル・エクアドル

*写真:2005EXPO 剣道フェスティバル(「愛・地球博」催事)で幼稚園児との掛かり稽古を披露する武安会長(当時)=EXPOドーム(愛知県長久手市)・平成17年8月31日(水)

 *この記事は、月刊「剣窓」2021年5月号に掲載した記事を転載しています。

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