図 書
広報・資料小委員会コラム
第1回 山岡鉄舟の心法論再検討
委員長 大保木 輝雄
この度、「図書」に広報・資料小委員会のメンバー8名によるコラムが掲載されることになりました。最初のコラム担当者として、先ずは35年前に設置された本委員会活動の概観を振り返り、それを踏まえて私自身の研究課題などを綴ってみたいと思います。
資料小委員会は1987(昭和62)年、総務委員会の中に広報委員会とともに設置されました。10年後の1997(平成9)年からは効果的な活動を図るため東日本・西日本それぞれ8名の委員から成る東西二つの委員会に分れ、各地域に散在する剣道文化に関わる歴史的資料を調査・収集・整理・分析・保存し、検討を加えるとともに一般に公開。さらに、必要に応じて関連の出版物の作成にも当たってきました。東西の委員会は2019(令和元)年、再び一本化され今日に至ります。
一本化された後の新たな委員会の方針は、関係諸機関と協力し、これまで収集してきた諸資料の活用を図るとともに多くの方々が研究出来るよう情報公開することにあります。
本委員会の成果として、既に『絵図と写真に見る剣道文化史』(2013.3)が刊行・販売されていますが、西日本委員会が取り組んできた『戦前・青年団における剣道の実施状況について』(報告書)は剣道の歴史研究上重要な役割を果たす資料であることから紙媒体での冊子化と同時に電子媒体(PDF)での公開を検討し、2020年には冊子を発刊、公開しました。さらに同年、台湾・台北で1965(昭和40)年に開催された第1回国際社会人親善剣道大会の写真(東武生氏寄贈)をインターネット上に公開。加えて、日本武道館で1970(昭和45)年に開催された第1回世界剣道選手権大会記録映像(滝澤建治氏寄贈の16ミリフィルムを復元したもの)を貴重な映像資料と判断し、本年(2022.4)は映像の編集やテロップを作成してYouTubeで公開しています。
また、この間のコロナ禍により対面での行事が中止されたことを受け、公式HPに「図書」というカテゴリを新設しました。かつて『剣窓』や全剣連出版物に掲載された論説や随筆を掲載。これは、文部科学省が提示した剣道の伝統性や文化を中学生や外国人に分かり易く伝えるための資料を提供出来ればとの編集委員会の意向を反映したものです。
これらの試みの背景にはまた、文科省が60年ぶりに改正した「教育基本法」(2006年)に示された教育の目標の一つである「伝統と文化の尊重」を受け、中学校の保健体育科目に「武道」が指定されたことがあります。剣道連盟はそれを見越して、2007年に「剣道指導の心構え」を制定。これは、1975(昭和50)年に制定された「剣道の理念」と「剣道修錬の心構え」を補完することでもありました。
これからの剣道の発展のためには学校教育に加え、部活動の地域移行に先駆ける活動が不可欠です。競技のみならず、剣道の伝統とは何か、剣道の文化特性とは何かを中学生に解り易く説き、それを身に着けることが問われています。
そのような現状を踏まえ、8名の各委員が今期の締めくくりとして、各々の研究課題の紹介と今後の活動の方針について紹介する「図書」のコラムを執筆することに致しました。
本連盟に設置された資料小委員会に課せられた活動と、今後の委員会の在り方を読者の方々に理解していただき、これからの剣道を共に摸索できる契機になれば幸いです。
さて、私自身の研究課題を述べさせていただきます。
戦後剣道は「体育・スポーツ」として復活し、民主的運用と科学的見地から見た体育・スポーツの理念と競技方法を再編した「格技」として展開されてきたことは周知のことです。学校教育の場で日本刀や剣にまつわる思想・用語の使用は禁止され、日本剣道形は教材から外されていました。そのような「格技」としての「剣道」について、「日本刀やそれにまつわる思想や用語」の再検討を図るために「剣道の理念」が制定されたのは1975(昭和50)年のことです。
それは、1952(昭和27)年に結成された戦後全日本剣道連盟第二代目石田和外会長の要請によるものでした。石田会長は剣道の正しい方向性を古流に求め、一刀正伝無刀流の第5代宗家を受け継ぎました。また、笹森順造氏より小野派一刀流を学び、免許皆伝も受けておられました。笹森氏は、戦後間もなく禁圧された剣道へのGHQ対策に対し、剣道本来の在り様を示すために結成した刀法研究会の主宰者でした。
石田会長は『現代剣道百家箴』に「寂然不動」と題した文章を寄せ、「小手先の技やごまかし剣は役に立たぬ。あくまで正々堂々、満身の気魄を以て敵と相対し、皮を斬らして肉、肉を斬らして骨、相打ちの心構えこそが肝要である。しかもその勝敗の機は電光石火、一瞬の間にある。剣の修行はしょせん千変万化、この身に迫って来るものに対して臨機応変、活殺自在の働きを以て対応できるようになることがその目標である」と自らの剣道観を披歴しています。続けて「日常、自己の使命とするところに能力の限りを投入して世のため人のために縦横に活動することが人生の生きがいであり、剣の修行も又ここに帰着せねばなるまい。だが、白雲未在。努めても努めても達し得ないのが剣の極意である。小成に安んずることなくどこまでも謙虚に、念々停流せず、欣求不断の精進を積み重ねて行き度いものである」と所信を表明しています。石田会長の念頭には、山岡鉄舟の提唱した一刀正伝無刀流があることは言うまでもありません。
その山岡鉄舟の果たした歴史的位置づけについて、本連盟ホームページの「図書」に掲載した「剣術(道)歴史読み物第10回山岡鉄舟の剣術論-近代「剣道」の発明・創出」(湯浅晃)で湯浅氏は、「剣術の近代化において大きな役割を果たした人物として山岡鉄舟が挙げられるが、彼は剣術の暴力性を排除した理念の確立を目指したものと考えられる」と述べ、「剣道の発明」ともいうべき山岡の剣術理念は、柔道のような、いわゆる「近代化」とは違った、もう一つの「伝統の発明」のあり方を示していると提示し、山岡鉄舟によって発明・創出された近代「剣道」の伝統は、全日本剣道連盟制定の「剣道の理念」にいまも受け継がれている、と指摘しています。
またさらに、この「歴史読み物」の最終回を担当した杉江正敏氏は「競技論から道の思想へ」という論考で、山岡鉄舟の「苟(いやしく)モ剣術ヲ学バントスルモノハ、虚飾ノ勝負ヲ争フベカラズ」(春風館掲示)との説示をとりあげ、剣道において「虚飾の勝負」とは何をさし、「真の勝負」とは何なのかを明らかにしていくことが、競技としての発展につながり、先人達の業績に報いることになる、と指摘します。
嘉納治五郎が「講道館」を開設したのが1882(明治15)年。同年、山岡鉄舟は「春風館」を開設。これは偶然でしょうか。治五郎の父親と鉄舟は旧知の間柄、治五郎の師ともいうべき勝海舟と鉄舟は肝胆相照らす関係。しかし、治五郎と鉄舟の交流についての記録は皆無です。果たして、嘉納が提唱した「柔道」と鉄舟が示した「剣道」は異質なのか、それとも同じ道を異口同音に展開したのか。この疑問の解明が、私の課題です。
その手がかりを得ようと、卒業論文で取り組んだ「一刀正伝無刀流の形成過程」、武道学会で発表した「山岡鉄舟の剣術理念に関する一考察」に続き、45年ぶりに「山岡鉄舟と心法武術」をテーマに鉄舟関係の基礎資料の再確認と精選に勤しんでいます。同時に、刀法(型)の実技を通じて、鉄舟が自得した「極意」と小野派一刀流宗家が伝えた「極意」の内容を読み解き、自ら課した課題を解明したいと考えています。