図書
広報・資料小委員会コラム
第4回 剣の思想
委員 酒井 利信
私は、長く刀剣の思想について研究してきました。刀剣の思想とは、刀剣を単なる武器としてではなく、一種神聖なものとして観る思想のことです。これについては既に「剣窓」(平成15年9月~16年8月)および全剣連ホームページ「図書」のコーナーで紹介していますが、今回は、刀剣の思想を通して現代剣道の特性あるいは価値というものを考える視点を提示してみたいと思います。
本稿を読むにあたって、先ず押さえておかなくてはならないことは、一般に「刀剣」という言葉を使いますがこれは総合名称であり、「剣」と「刀」は違うということです。「剣」は両(諸)刃のもの、「刀」はこれを縦に割ったような形の片刃のものをいいます。
答えを先取りするようですが、長い歴史の中で「刀」より「剣」をより神聖なものとする思想が育まれてきました。これを私は「剣の思想」といっています。
私たちが行っている現代剣道は竹刀を使用していますが、日本刀を使っているつもりで稽古するように指導されます。しかし、人間形成の道として我々が稽古しているものは「刀道」とはいわず「剣道」といいます。ここには「剣の思想」がまるで日本人の心の遺伝子であるかの如く潜在していると私は思っています。
剣の思想の源流
金属器としての刀剣は、紀元前三世紀末、弥生時代初期に中国大陸から伝わってきました。その淵源を紐解いていきますと、古代中国の春秋時代における呉や越といった地域に辿り着きます。ここで先ずは両刃の剣が戦場の白兵戦で盛んに使われました。必然的に武器としてよく斬れる剣が多く作られ、これは「呉越の剣」といって後に非常に有名になりますが、その中で特に優れたものは伝説となり語り継がれるようになります。普段あまり読まれることのない漢籍ですが『越絶書』や『呉越春秋』などに描かれている太阿の剣や干将莫邪の宝剣伝説はその顕著な例です。
しかし一説によると、漢の時代あたりを境に戦場の主力が両刃の剣から片刃の刀に移行したといわれています。では剣は歴史から姿を消したのかというとそうではなく、既に宝剣伝説で語られるほど当時の人々の間で神聖なものとして観念されていたために、道教儀礼の道具として使われるようになります。これを祭器といいます。道教というのは、中国固有の土着的な信仰の中から自然に発生してきた宗教のことで、この信仰の中で剣は人間の力ではいかんともしがたい邪悪を排除するような呪術の道具として使われるようになります。これを剣による「辟邪の呪術」といっていますが、では何故に剣がこういった力を持つのかというと、古代中国人は星を剣に具体的に彫り込むことによってこれを呪力を持つ祭器として観念しました。古代の中国では、人間の生死禍福あらゆる事象全てが天の意志(天命)によって決められていると考えられていました。これを天命思想といいます。当然、地上の人々はこの天命を知ろうとします。彼らは天を彩る星の相によって天命を窺うことができると信じていました。必然的に天命を表す星は神聖視され、これを剣に直接彫り込んだということです。唐の時代の道士である司馬承禎が著した『含象剣鑑図』には、剣に北斗七星を彫り込んだ図が描かれています。
日中の橋渡しをした古代朝鮮における剣の思想
上に述べた古代中国における剣の思想と日本のものを見比べると、両者の繋がりに気が付かないのですが、この間にある古代朝鮮の思想を探ることで今回皆さんにお示ししたい思想の系譜が見えてきます。
古代朝鮮の三国時代に金庾信という新羅の大将軍がいました。庾信は鼎立する新羅・高句麗・百済の三国を統一するのに大いに貢献した英雄です。そもそも彼は花郎という呪術集団の一員でした。『三国史記』には次のような伝説が記されています。
建福29年(612)、庾信が一人で宝剣をもって咽薄山の奥深くに入り、香をたいて天に祈願したところ、虚星・角星という天にある星が彼の宝剣に光を降しました。このことにより霊威を得た宝剣をもって、彼は三国統一に奔走した、といった内容の話です。
この伝説は、花郎としての庾信がシャーマンとしての呪力を得るプロセスを描いたものと考えられます。古代朝鮮は中国と同様に天命思想が強い影響力をもつ文化圏ですが、金庾信伝説では剣の呪的霊威の根拠について、天にある星が地上の宝剣に光として霊威を降すという、やや抽象的な描写になっていることに注目しておきたいと思います。
古代日本における剣の思想
以上のような古代中国や朝鮮で育まれてきた思想が金属文明とともに日本に伝わってきます。伝播してきた当初から祭器としての「剣」、武器としての「刀」という棲み分けがあったわけですが、特に「剣」はその神聖性から古代神話の中で語られるようになります。『古事記』や『日本書紀』の中で霊剣の話が非常にマジカルに語られ、独特な神話的イメージが形成されます。
日本神話の中に登場する二大霊剣として、草薙剣と韴霊剣があります。草薙剣は三種の神器の一つでありよく知られているところですが、今回は韴霊剣に焦点を当てて話を進めていきます。
韴霊剣に関して先ず注目しておかなくてはならないのが、国譲り神話です。天上界(高天原)の統治者である天照大神は、下界(葦原中国)をも自分の子孫に治めさせようと考えるのですが、その前段としてタケミカヅチという神様を下界の統治者である大国主に国を譲るように交渉しに行かせます。タケミカヅチは出雲の国の伊那佐の小浜に降り立ち、切先を上にして剣を逆さまに突き刺し、その上に胡坐をかいて大国主と交渉します。タケミカヅチが剣先に座るという描写は、この神が剣と一心同体であることを表しています。そのためタケミカヅチは剣神として崇められるようになるわけです。この剣神による交渉により国譲りは成功します。しかしこの神話の中で、韴霊剣の名前はまだ出てきません。
この神話と関係して韴霊剣が大いに活躍するのが神武東征神話です。カムヤマトイハレビコ(後の神武天皇)は、日向を出発し東へと戦いを進め、最終的に大和国の橿原宮で初代天皇として即位するのですが、その途中、熊野の地で荒ぶる神の毒気にあたり死にかかります。彼の軍隊もことごとく倒れ、絶体絶命の窮地におちいります。これを天上界で見ていた天照大神はタケミカヅチを呼んで、再度下界に降りカムヤマトイハレビコを救うように命じます。しかしタケミカヅチは自ら下界に降りることはせず、代わりにあの時の剣、つまり国譲り神話で大国主に下界の統治権を譲るように迫った時に使用した剣を、高倉下という人間の夢を介して降します。この霊剣を受け取ったカムヤマトイハレビコは正気を取り戻し、軍隊も目を覚まし、そしてこの剣の霊威により荒ぶる神は自然と斬り殺されていました。この剣の名を韴霊剣といいます。この後、彼は初代神武天皇として即位することになります。
この神話で注目すべきは、韴霊剣の霊威により荒ぶる邪神が自然と斬り殺されていたという描写です。まさしく辟邪の呪剣です。そしてこの霊剣は天から降りてきます。夢を介して神々の世界と人間を繋ぐというのは日本文化の一つの特徴といわれていますが、この神武東征神話はその初出と考えられています。古代日本人は、韴霊剣を神々の世界である天上界と下界の人間界を繋ぐものとして捉えていたということです。だから剣は祭器となれるのです。韴霊剣は、その後、石上神宮にご神体として祀られることになります。
ここで気が付くことは、東アジアにおける同系統の思想様式が確認できるということです。そして更に、その中にありつつ、中国や朝鮮と比して日本の独自性もはっきりと表れています。古代中国では天の意志を表す星を剣に具体的に掘り込み、朝鮮では少し抽象的な描写となって星の霊威が天から地上の剣に降りてきたのですが、日本では神聖なる剣自体が天から降りてきます。この抽象的な荒唐無稽さが日本の特徴であり、それゆえに剣は我々を神々と繋げてくれる。ここに剣が祭器となり、呪剣となる根拠があるということです。
我も斬り、彼も斬る剣
上にみた神話的イメージは、脈々と剣道に受け継がれています。神々との関係を背景とした呪剣の技術は、宗教・信仰の世界のみならず剣の技術の中に継承されています。これは日本の最大の特徴で、中国や朝鮮にはこういった傾向は認められません。
剣術において心の問題は重要です。心が乱れれば身体に影響を与え、太刀先が乱れ、結果として命にかかわることになります。それ故に近世の剣術家は心の問題の解決を喫緊の課題としたのですが、これが非常に難しいことは皆さんご承知の通りです。ではどうしたかというと、井澤蟠竜子が著した『武士訓』には「霊剣は、…内に私欲奸侫の心敵を滅し。外に邪悪暴逆の賊徒を誅し」(霊剣は自己の内にある邪念を斬り払い、また外の敵をも打ち取るものである)と記されています。これは新当流の伝書に引用されるなど当時の剣術界の思想をよく表していますが、神聖なる剣のイメージで自らの内にある邪心を斬りそして敵に対するという、霊剣による「我も斬り、彼も斬る」技術があったということです。両刃の剣は、片方の刃は敵に向いているが、もう片方の刃は自分の内つまり心に向いているというような説明もできるかもしれません。そして重要なことは、この自らの心というのが、敵に対した時の精神状態だけでなく、『示現流聞書喫緊録』等にも記されているように日常の言行に通じていなくてはならないということです。
この考え方は現代剣道につながり、単に武器(刀)の操作の習熟だけを目的にしているのではなく、もっと深いものを求めている、より端的に言えば人間形成を目指しているのだという我々のプライドが、意識しているかどうかは別として、「刀道」ではなく、自らの心をも正すことのできる神聖な「剣」の語をもって「剣道」といっている。東アジアの中で育まれつつ日本独自の展開をみせた「刀」より「剣」を神聖視する思想、つまり「剣の思想」がここに脈々と受け継がれています。
ここに剣道の特性・価値の一つを見出すことが出来るのではないでしょうか。
<関連図書>
酒井利信『日本精神史としての刀剣観』第一書房
酒井利信著・アレック・ベネット訳『英訳付き日本剣道の歴史 A Bilingual Guide to the History of Kendo』スキージャーナル
酒井利信『刀剣の歴史と思想』日本武道館
酒井利信編『武道研究の道標』デザインエッグ