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段位審査に向けて
第14回 松田 勇人範士に訊く
篠原政美編集委員長(以下篠原)
第14回目として、指導育成委員会・指導者育成本部長の松田勇人範士にお話を伺います。
松田 勇人範士(以下松田)
最初に昇段審査についての私の考えをお話ししたいと思います。
剣道の段位は、剣道を志す人にとって、自分の修業の段階を確認することができる素晴らしい制度だと思っています。受審するにあたっては、自分の剣道の悪癖を治す工夫をするなど、自分の剣道を見直す絶好の機会です。
段位に応じて修業年数が定めてあり、高段位になるほどその年数は長くなっています。特に八段は、七段受有後10年以上の修業を要します。このことは、ただ期間が経てば良いということではありません。その期間にどのような修業をするかが大切です。
また、審査時間が短いと思う方もいるかもしれませんが、私は絶妙な時間だと思っています。時間内に自分の修業の成果を発揮しなければなりませんが、人間の緊張感・集中力が続くのは2分位が限界ではないでしょうか。
篠原
短時間の立合いでも気力・体力は消耗しますね。
松田
心静かに礼を行い、蹲踞から気の充実している構えで立ち上がり、そして相手との攻め合いで攻め勝ち、機を捉えて自分の打ち間から捨て身で打突する。または、相手が出てきたら応じて打つ。打突後は相手との縁を切らないように次の攻めにつなげていく。
「礼から礼」まで気の充実と集中力を継続し、気を緩めることなく立合うことができる絶妙な時間だと思います。
◎審査の時はまず心静かにして落ち着くこと
篠原
審査の時に大事にすることは何だとお考えですか?
松田
私は大事な立合いに臨むとき、宮本武蔵の書幅『戦気』を思い出します。そこに書かれている白楽天が詠った「寒流帯月澄如鏡—寒流月を帯びて澄めること鏡の如し」の心境になれるよう心がけています。心が澄みきっていれば相手の心の変化が自分の心の鏡に映り、先を取ることができます。
難しいですが心を静かにして臨むことによって、落ち着いて立合うことで「ため」ができ、打突の機会が見えてきます。緊張しすぎると相手が見えなくなります。自分が落ち着いてないと相手の気持ちは見えてこないですね。
篠原
日頃の稽古でも、自分より上手の先生に懸かる時と、互格または下手の人と稽古する時は違いますね。
松田
先生に懸かる時は無我夢中の気持ちですが、互格の相手との場合は雑念が入りがちです。
私は八段審査までの10年間、毎週奈良から大阪まで通い、西 善延範士に稽古をお願いしました。西先生は、左手が動かず、剣先は中心から外れることがなく、気が動かないのでなかなか打ち込めませんでした。
審査の1週間前の稽古で初めて面が打てました。先生が打たせてくれたのかもしれませんが、剣先の攻め合いで中心を取れ、無理な攻めではなく、攻め勝てたような気がしました。その時初めて、右足の攻めだけではなく、左足の攻めを自覚することができました。
◎攻めて崩すには複合的な要素が必要
篠原
やはり「打つ」前の「攻め」が大事だということですね。
松田
審査会場で、自分の間合ではない所からの打突や、機会を見ていないのではないかと思う打ちを出す受審者をよく見かけます。相手の気持ちが動いていない時の打突は評価されません。
相手を攻めて崩して打突するには、間合・気迫・剣先の働きなど、複合的な要素が必要です。
間合は自分の間合を知ることが一番重要です。ここまで入れば打てる。という間合を知ることです。触刃の間、交刃の間、更に詰まったところの打ち間に入る過程で、相手を崩し、優位な状態を作ることです。
間合を詰める時は、気力を充実し、相手に気迫で勝ることが大事です。同時に中心を取ることです。
中心の取り方は状況によって違います。小手先だけで相手の竹刀を抑え込もうとすると逆に隙を与えてしまうことになります。構えた時に左拳が納まって「剣先が利いている」ことです。剣先を通して相手とのやり取りが大事です。自分と相手との間に一筋の糸が張った状態、相手との縁を切らないよう心がけることです。
更に、相手を制するのに重要な教えとして「相手の剣・技・気」を封じる三殺法がよく知られています。相手の剣を殺す方法として、竹刀の身幅分だけ鎬を使ってすり込むようにして攻めます。攻めが効いていると相手の心や動きに変化が起こります。相手の崩れを感じた瞬間、捨て身で打ち込むか、出てくれば出頭技、応じ技で対応することが大事です。
いつでも打ち込める、あるいは応じることのできる構えと心で攻めることです。すなわち「懸待一致」です。「懸中待」「待中懸」の境地で相手と立合うことです。
◎打ち気に逸らず対応力を身に付けて打突の好機に捨て身の技を
篠原
どうしても打ち気に逸ってしまいがちです。
松田
審査で気迫のある見事な一本を打つことは理想ですが、剣道は相手によって間合も呼吸も違います。どのような相手に対しても有効打突を決められるよう対応力を身に付けることが大事です。
「打ちたい」という気持ちが先走り、届かない間合から慌てて打っていく方がおられます。攻めて相手を出させて打つのも剣道の良さの一つです。
審査ではお互いに打とうとする気持ちが先に出ますが、「先々の先」で攻め、相手の起こりの出ばな技や、間に合わない時は応じ技を出すなど、相手と攻め合う中で心身が自由に働ける状態を作ることが重要です。
驚懼疑惑が生じないように、構えを崩さないで「ため」をつくる—露の位です。いつでも打てる、いつでも捌ける心と身体の状態をつくることです。
剣先の先に気が滲み出て、打突の好機を捉えた捨て身の技が見事な一本につながります。
篠原
構えについてお聞かせ下さい。
松田
構えた姿は、剣道具の着装を美しく身に着けることはもちろんのこと、段位に相応しい気位・風格が求められます。
気位・風格とは、鍛錬を積み重ねたことによって得られた自信から生まれる威力・威風のことです。気を錬る稽古が大事です。稽古は半紙一枚の積み重ねであると言われますが、日頃の稽古の積み重ねにより身についていくと思います。
また、構えは、「上虚下実」、上半身の無駄な力を抜き、下半身に力が入るようにすることです。「臍下丹田」に力を入れ、肩の力を抜いて下腹部に力を入れての攻め、「手で打つな、足で打て、足で打つな、腰で打て」と言われるように下半身を安定させることによって、腰の据わりが良くなり、体が安定してきます。
◎加齢と共に緩む「後ろ姿」を意識
篠原
若い頃のようにはなかなか出来ないです。
松田
加齢と共にどうしても背中が丸くなり「後ろ姿」が緩んできます。私は後ろ姿に気を使い、自分の後ろ姿が崩れないよう胸を張り、お尻を持ち上げるよう意識しています。自分の目の前の睫毛は見えないように、自分の姿は分からないものです。特に後ろ姿は見えないので、意識して頂きたいですね。
同時に、左足のひかがみが緩んだり、踵が上がり過ぎないように気を付けています。私の場合、左足は床から2〜3cm位だと思います。その状態で、荘子の「真人の息は踵を以ってし」の息使い・呼吸法を意識して稽古しています。
篠原
女性や高齢者の剣道家へ助言をお願いします。
松田
体力差や体力の衰えを補うのは精神面だと思います。動じない気を養い、無駄打ちを無くす稽古が大事だと思います。即ち、無理な仕掛け技を打っていくのではなく、相手の技の起こりを打つ、応じる、あるいは、相手の打突を捌いて技の尽きたところを打突する稽古をして頂きたい。
女性の打ちは一般的に軽いですが、剣道は打突力だけを争うものではありません。軽くても冴えのある打突ができるように稽古して頂きたいと思います。
ある女性の方に、手の内の冴えの稽古として「木刀による剣道基本技稽古法」基本7の「出ばな小手」を、剣道具をつけて竹刀で踏み込み足でやってもらいました。1年間継続すると、冴えのある「ポクッ」という小手打ちができようになりました。
篠原
最後に何かありましたらお願いします。
松田
稽古で心掛けて頂きたいのは、初太刀を大切にすること、攻めを工夫することです。初太刀一本に全力を出し切る稽古を是非続けて頂きたいと思います。
「いたずらに 過ごす月日の多けれど 道を求める 時ぞ少なき」と道元禅師は詠まれています。皆様方の一層の努力精進に期待いたします。
*段位審査に向けては、2021年5月号から2022年11月号まで全19回に渡り月刊「剣窓」に連載したものを再掲載しています。役職は、掲載当時の情報をそのまま記載しております。