図 書
現代剣道百家箴
攻撃ということ
一川 格治(剣道範士八段)
松崎浪四郎先生は旧久留米藩士で幕末、嘉永、安政の頃から明治の中期に至るまで剣をもってその名を天下に轟かした。人間の価値は棺を覆うて定まると云う。松崎先生の波瀾に富んだ剣士としての生涯はそのまま人間完成を目指した偉大な生涯であった。人間の行くべき道を行きつくした苦業の果に玲瓏玉の如き福徳ある人格者となられたと聞く。剣道も当時日本一であったらしい。そのことについて我が剣道界において大御所でもあった高野佐三郎先生の言をかりよう。
『私が日本一というのは松崎さんですね。私は松崎さんに可愛がられて、いろいろ御高説も拝聴し秘伝もうけたのですが、あの先生の試合振りを今後の大家連中などが本当に守って、後輩に範を示すように少し研究するといいのですけれども。あの当時の試合は、今のように打ってから勝ったのじゃない。今は面か胴かポカポカ打ってから勝ったと云うことになりますが、松崎先生のは勝つ前後の動作と云うものが、非常に尊いのです。正眼に構えて、一々攻めなければ打たない。タッタッと攻め、じりじり攻めて、小手と打って、それが軽いと思うと、 面なりーと来るのです。打つ前に攻めて敵に戦闘力を失はせて打つのです。そう云う魂のこもった試合は、今の連中は見ることも出来ないし、話す人もありません。ポカポカ打ってから、ああ勝ったとか、彼は強いとか弱いとか、上手とか下手とか云いますが、私共はそう云う試合を拝見しておりますから実に馬鹿馬鹿しいように思うのです。だから今後大家連中はそう云うところに注意して、本当の剣道の真理、味わいと云うものを自分自身で会得して、後輩に示してゆかなければ、剣道の価値が無いようになります。とにかく一々攻めてからでないと打たない。今日はそんなことはお構いなしに、ただどんな構えをしておっても、ポンポンやって、勝てば偉いもののように思うが、先生のは禅のほんとうの真理を知らなければ判らぬような、深味のある剣道でした。』と。
全く頭の下る思いがいたします。今日の剣道は、ただポカポカ打つことによって勝負を楽しむぐらいで、先生が云われるような攻めということ、又前後の動作と云うものがなおざりにされているような気がしてならない。攻撃と云うのは読んで字の如く、攻めて打つことである。ただたたくことのみに汲々としないで、大切な気で攻め、剣で攻めるということが大切なことではなかろうか。
*現代剣道百家箴は、1972(昭和47)年、全剣連20周年記念事業の一つとして企画された刊行物です。詳しくは「現代剣道百家箴の再掲載にあたり」をご覧ください。