図 書
現代剣道百家箴
幼時の感化
堀口 清(剣道範士九段)
和田伝次郎翁は郷里の剣客で榊原鍵吉の門下である。白髭を垂れ立派な風貌を備えていた、修業は便所へ往き帰りの出来る間は休まないという厳しさで先生も便所に這っていったのである。70才を過ぎた頃の土用稽古にこれも修業と6キロ位を道具を担いで往復歩むのである。
不動心
父は研南と号し、祖父や和田先生の外小沢愛次郎範士や上京して紫田衛守範士の御指導を仰いだ。京都の武徳殿で教士となった時四国の某氏との試合は父は得意の左上段に構え激しい相手の動きに微動だにせず堂々と圧迫した姿は実に美事であると思った。父の心境まで達したいものである。
心の力
少年の頃修養団「主幹蓮沼門三」の有名な天幕(テント)講習に参加した。流汗鍛錬同胞相愛が主義である。早朝起床裸体操を霜柱や積雪を踏んで行い「心の力」を朗読する。午前講義午后は錬武開墾「裸」で実習夜は反省会という厳しさである。私は感冒を押し悲壮な覚悟で参加したのであるがいつの間にか直ってしまった。心の力の偉大さを身を以て体得した。早起会を主唱したり寒中2時間位裸で過す修業をしたのもこの頃である。
警視庁
昭和の初め対署試合に主将として出場優勝準優勝で飾り全勝賞の金メダル2個を獲得した。この後肺しんじん肋膜炎を患い医師は剣道をやっては生命の保障は出来ないという。剣を離れて生きる事は無意味と思い稽古を続けているうちに健康を快復し去る7月12日で69回の誕生日を迎える事が出来た。
恩師と国士館
昭和3年の暮れ婚約を機に豫ての熱望を果たしたいものと父と共に斎村五郎範士を訪ね入門を懇願した。国士館で修業する様に申されたのが学校創立の年である。大沢、江上、佐藤、安藤、加藤、長谷川氏などが1年生で後に馬田、藤氏などの豪傑が続々入学したので随分鍛えられた。有名な荒稽古で小手先の技は通じない。構えが崩れると突かれ「小胸脇腹と」倒される。心の力こそささえであった。爾来40有余年御薫陶を賜った警視庁と国士館の修業が私の剣道の二本の柱である。
霜の剣
学生が動員勤労奉仕に出たある国士館の朝稽古に斎村先生に師範一同がお稽古を願った。構えただけで圧せられる、さがればつけこまれる休むと乗ぜられる、いつどこからともなく春霞の様に掩いかかってくるという奥深い剣風と私は思った。各師範の言葉も霞の様だという事だった。技は心から出る。年をとっても鍛えた心は衰えないとも恩師は訓えた。
恩師の平常心、和田翁の不屈の心、父の不動心、修養団の心の力、心の力こそ私の坐右の銘であり併せて内助の功が私の現在である。
*現代剣道百家箴は、1972(昭和47)年、全剣連20周年記念事業の一つとして企画された刊行物です。詳しくは「現代剣道百家箴の再掲載にあたり」をご覧ください。