図 書
現代剣道百家箴
離静誠位について
三輪 清(剣道範士八段)
離静誠位と言う教えは、私が剣道修行上並びに処世上の指針として来たので、剣に志す徙に少しでも参考になれば幸いと思い、茲に筆を執る。
この言葉は、貫心流剣術奥秘の離静之巻の中にある教えであり、不肖私は貫心流宗家の二男に生れた関係上、話の順序として貫心流に就いて少し触れて見よう。
貫心流は、流祖宍戸司箭家俊(安芸国菊山の城主元亀天正の人)が義経流の兵法を学びて貫心流を創始した。主なる武芸は、剣術、短剣術、手裡剣術、居合、薙刀、槍術、鎖鎌拳法、弓術、游泳術等である。 阿波の士、細六郎義知(六代目、文化の頃) 四国阿波(徳島県)に この流を伝えてより数代を経て、阿波の住人、山根正雄(旧武徳会範士慶応明治の人)から高弟徳島の住人近江佐久郎(旧武徳会範士明治、大正、昭和の人)に伝わり、現在長男近江勇(全剣連範士徳島市在住)二男三輪清(全剣連範士高山市在住)伝承して居る。
離静之巻に曰く「抑も剣法の道たるや、学んで其極みに至らざれば其奧秘を伝う事能はず、伝うる共其の奥秘を悟覚するを得ず、故に熟練せずんば有る可からず。切磋琢磨の功を積む時は一を聞いて十を悟る也。茲に勝負を決せんと欲するに望み、其の深意を挙げて熟練の徒に示さん、離れざれば中位にあらず、眼整い釣り合わざれば中位にあらず、強気も中位にあらず、勝負の要中位に決して離れて戦わざる以前に勝に至る事を知る云々」とあり。即ち中位とは近からず遠からず、離れて独歩する意であり、離れざる時は静かなる事能はず、離れて心静かなるに至りて誠の位を得るを述べてある。即ち中位とは、誠位である。亦曰く「離静とは離れて静かなる也。誠位とは、生々として止まざるもの也。離とは、戦かはざる事也」とあり。即ち形を離れ、体を離れれば構え進退共に自由になり、敵をよく視る事が出来、誠気明徹生々として敵業を出すこと能はず。と言う意である。即ち戦かわずして勝を制する意味である。剣の道は常に敵を遠くに置き、離れて進退するを尤も有利とするもので、処世の道も亦然りである。亦同流決要之巻に曰く「格眼ニ要是を明らかに分つと雖、誠気甚強ならずして勝負の分れに至る事難し、凡そ気の為に心を惑わすは常也、正気は四体に満ち、臍下に集め、大強にして漏るる事なく。能く心に徹し、打とも、砕とも、焼とも、埋むとも、声もなく、臭もなく、離れて静所に至る。爰に於いて理は四体に満ち、唯一人行き、一人帰るが如し。此の如くならずんば何ぞ其誠を得んや」とあり、勝負を決する心技を述べ、且つ心明らかなれば必ず勝ち、心明の誠は天下無敵にして独歩の道明らかなるを説いてある。
剣の要は、心中一毫の私曲なく、自然の規矩に従い、練磨習熟至誠の極みに達するに在るを教えてあり、常に剣に依り心の静と人の和とを念じて止まぬ次第である。この心法知ると知らざるの違いや如何、愚見一筆茲に記す。
*現代剣道百家箴は、1972(昭和47)年、全剣連20周年記念事業の一つとして企画された刊行物です。詳しくは「現代剣道百家箴の再掲載にあたり」をご覧ください。