図 書
現代剣道百家箴
剣道と薙刀の試合に就いて
森井 定勝(剣道範士)
剣道と薙刀の試合は従来異種試合として行われて来ているが、昨今其数著しく減少している。私は剣道及び薙刀の発展の立場から、もっと試合や練習を通じ、双方の交流を深める事を切望するものである。そこで剣道対薙刀の試合に対し若千の意見を申し述べて見度いと思う。
そもそも剣道選手は薙刀を単なる棒とみて試合をしている様に見受けられる。薙刀選手は剣道に踏み込まれた場合非常に狼狽して打たれない様に努めているが剣道選手は間合に接した場合、一本とろうとし薙刀の刃先が切れる事を無視して薙刀が股の中に入っている場合でも連続打ちをし、それで当ると一本をとる。これは股の中に入っている刃が動けば切れる様に左右斜にして押えているにも拘わらず打つ、これは実は刃先が生きているから踏み込めない筈である。この無理打ちを一本とるという事は袴の中に刃が生きておる事を考えないからである。薙刀の選手も亦刃先の意識が足りない。相手の目に注意し、狼狽しないで切先で押えてお互いに刃のある事を認識しておれば審判はそこで別れを宣する筈である。別れてはじめて新しい構えを以って戦う、又別に中段の構えに入った場合刃先が生きておれば仲々容易には踏み込めないわけで、そこで薙刀を以って面を打つとか、小手を打つとか、胴を打つとかし、突き技については薙刀の構造上仲々咽は突きにくいものであるから胸を突いても突き技として一本にする様にしなければならないと思う。長さが長い関係上竹刀の様なわけにはいかないからである。
薙刀の人は剣道には押し捲られておる様な状態がとかく多い様に見受けられるが、これは手元に飛び込まれて一本とられるという事は非常に不利な薙刀自体の構造から来ておるものと思われる。そこで飛び込まれた時は取り敢えず薙刀の小尻で応戦をし、且つ又短刀(型をやる時の様な)を腰に差し、手元に飛び込まれた際は薙刀を捨て短刀の突き技、又は鎌技で勝つという様にすべきである。これが為には試合に際し短刀(竹製)を薙刀の者に持たす様にすれば型の様な試合が出来る。要するに特に注意を要する事は剣道家は薙刀の先が股の中に入る様な場合、見えないけれど刃を以って身体の一部が押えつけられており、動けば切れるという事を充分認識すれば、そう無駄打ちは出来ぬ筈である。
剣道に於いてもお互の剣が身体に触っておる時は打っても一本とらない如く薙刀に於いても同様に審判をすべきものと思う。尚薙刀の者は剣道家に対し刃先を生かして使う、即ち相手の動勢により刃先を生かす様進退すべきであり、単に棒であると思って押えていたのではだめである。剣道選手も薙刀選手も審判も以上の技術の点を充分理解願う必要があるやに考える。剣道人口は著しき増加の今日薙刀の人口は夥しく減りつつある。これには薙刀が試合に於いて不利であることもその一因かと考える。薙刀を盛にする為には以上述べた様な改革をして頂ければよいのではないかと愚考する次第である。
*現代剣道百家箴は、1972(昭和47)年、全剣連20周年記念事業の一つとして企画された刊行物です。詳しくは「現代剣道百家箴の再掲載にあたり」をご覧ください。