図 書
現代剣道百家箴
師のことば・父のことば(私の手記から)
和田 晋(剣道範士八段)
1、師のことば(恩師高野佐三郎範士の訓話)
「剣の道は、実に奥の深い、けわしいものである。君達は果実に例えれば、漸く成果した青い実である。その頃は当る盛りで稍もすると力の剣道になり易い。しかも世に恐いものなしで稽古をして相手をへこまし、試合に勝って鼻高々となり慢心するものである。これは厳に戒めなければならない。剣道は汲めどもつきぬ泉の様なもので、これでよいということはない。しかもその奥には迷路があり、突き当っては後戻りすることもしばしばである。君達も今後必ずこれを経験することになろう。その奥を極めて本当に大成するには容易なものではない。私自身も、その為に今なお苦心修業に余念がない毎日である。君達は今が一番大切な時期である。慢心するなぞ以ての外である。思い上ってはいけない。これからもっともっと修業に励み、研鑽を積むことが必要である。 ″玉磨かざれば光なし″という、如何に立派な素質があろうとも錬磨に錬磨を重ねなければ名玉たり得ないのである。努力、忍耐こそが最後の勝利である。よく心するのですぞ。」
2、父のことば(東京高師入学時の餞のことば)
「剣道修業の教えに、守・破・離という言葉がある。守とは流派の掟を厳守し、師の教えを固く守り、修業に修業を重ねて、その流派の奥義に達し、師より″これで教えるところなし″と言われるまで修業を重ねることである。破とはその流派の殻を破り出ることである。言いかえれば他流と手合わせして腕を磨き武者修業して各地を遍歴し、名人・達人と言われる人を訪ね、勝てぬ人あらばその教えを乞い、或いは野に伏し、山に籠り、独り稽古を積み重ねる、これが破である。次に離であるが、これは今迄修得した一切の流派とか、師の教えからすっかり抜け出し、離脱して、絶対不敗の境地を自得し、大悟徹底して、遂には自分独得の一流一派をあみ出すに至ることである。
さて、これからお前は名だたる高野大先生に師事するわけであるが、守の意味をよくよくわきまえて、みっちり勉強せねばならない。先生の一言半句をおろそかにしてはならない。なお高師(東京高等師範学校)卒業の時が破の時代に相当するが、その時から自分独りの苦難の時代がはじまるのだ。 慢心して怠けてはならない。道に志すことは生やさしいものではないのである。道は遠いのだ。宮本武蔵は、″我に師なし″と喝破し、独力で工夫研究してあの境地を開いたのだ。人の出来ることは、自分も出来る。その覚悟で努めることだ。」
*現代剣道百家箴は、1972(昭和47)年、全剣連20周年記念事業の一つとして企画された刊行物です。詳しくは「現代剣道百家箴の再掲載にあたり」をご覧ください。