図 書
現代剣道百家箴
深く心を打つことば
太田黒 勇雄(剣道範士八段)
宮本武蔵の書幅、戦気に寒流帯月澄如鏡(寒流月を帯びて澄めること鏡の如し)とある。このことば(句)は私の心を強くとらえる。このことばは、白楽天の「寒流帯月澄如鏡、夕吹和霜利似刀」から出ているといわれるが、よってきたるところはどうであれ、武蔵の書幅のことばであってこそ、深く私の心を打つのである。
我が国の武の道に昔から、名人といわれ或は達人と謳われる人は、決して乏しくはない。けれども、その間にあって、宮本武蔵ほど、燦然と光芒をひいている者は少ないだろう。六度の実戦にも参加し、「五輪書」地の巻の初めに「六十余度勝負すといえども、一度も其利をうしなはず」云々。とあるように、然もその勝負は、今日の試合とは程遠い、命をおとすか、かたわになるかの試合であった。このような生死の境を踏み越えて、徹底した鍛錬を加え、其の奥儀を極めんとすることは、決して容易なことではなく、血のにじむような、苦難があったことを、見遁すわけにはゆかぬ。このようにして、偉大なる人格を、完成した跡を、たどって見ると、実に悲壮な感にうたれるのである。
武蔵は彼が、剣の人、道の人、として偉大をなした足跡を、彼自からの筆により「五輪書」としたのであるが、そのなかのいずれの文言も、最も端的に、私の心を打つのである。「水の巻」に「兵法心持の事、兵法の道において、心の持やうは……心の内にごらず、広くして、ひろき所へ知恵を置べき也、知慧も心もひたとみがく事専也」云々とある。心の内にごらずとは、今日の試合からいえば、勝ちたい、負けまい、打とう打たれまい、即ち試合にとらわれる心は、心の内にごらず、ではあるまい。又生活の中で、世の姿を見つめたとき、心の内に、にごりがあっては、実相はつかめない、にごりない心こそが、鏡のようなもので、鏡の中にものがくれば、そのままの姿が映る、鏡の中に生じたものは何もない。物が去れば消えるが、鏡の中に滅したものは何もない。寒流月を帯びて澄めること鏡の如し、悲壮なまでも澄んだ、にごりない心、この心こそが、私の心を深く強く打つ。
「広くして、ひろき所へ知慧を置べき也、知慧も心もひたとみがく事専也」と人間の内側に真理を求め「五輪書」の地、水、火、風、の巻の、しめくくりとして空の巻に、清浄無垢な、鏡のような心性が、人間性の本質であるとし、心は空也としている。これが武蔵が最後に到達した悟りの心境であり、寒流月を帯びて澄めること鏡の如しは、武蔵平生の心境であり、又戦に臨む者のはげしさを、じっと内にたたえながら、悲壮なまでに、鏡のように澄みきった、心境をしめしているのではあるまいか。
*現代剣道百家箴は、1972(昭和47)年、全剣連20周年記念事業の一つとして企画された刊行物です。詳しくは「現代剣道百家箴の再掲載にあたり」をご覧ください。