図 書
現代剣道百家箴
剣と心
大谷 一雄(剣道範士八段/全剣連副会長)
私の若い時代に、剣道界の大先生や先輩の方から聞いた話の内、印象的なものを先づ2、3述べて見たいと思う。
大正15年の春、東京大学と京都大学の剣道部員が連合して満鮮(満洲と朝鮮)武者修業に出かけたことがある。一行の中には日本武道館会長赤城宗徳君や名鉄会長土川元夫君など猛者が多かった。そして一口にいって我々は各地で連戦連勝した。私個人も敗れたことはなく、意気まさに軒昂たるものがあった。もちろん試合の他に各地で大先生方にお稽古を願った。たまたま京城(現ソウル)で持田盛二先生に稽古をお願いしたとき、打てば返され、待てば打たれるという調子で甚だ面目を傷つけた。帰国して金沢で古賀恒吉先生にその時の話をしたら、持田先生は御前試合に優勝された我国第一級の先生であるとのこと、成程なと思った。次いて京都で内藤高治先生のお宅にお伺いして又この話をしたところ、先生は「君は掛り稽古をしたのではないか」といわれた。そんな気持はなかったように思うが、相手が大先生故そんな風になったのかも知れないと考えた。内藤先生は「大谷君、持田先生のような偉い先生にお稽古を願うことは一生に一度か二度でそうあることではない。だからこちらも対等の気持ちになって、さぁおいでなさいという位の気位でお稽古を願えばそう打たれるものではない。稽古は大切にしなさいよ」と言われた。私の先輩である大野熊雄さんがある雑誌に剣道の極意は間合いにあると書いておられた。剣道の極意はもちろんそれだけに限るものではないが、一足一刀の間合いから打ちこまれた時にそれだけ退き又それだけ進んで打つことを考えれば、当時まことに理のある話であると考えた。先の内藤高治先生の話とこの大野熊雄先輩の話を継ぎ合わせた訳ではないが、私は気位と間合ということに特に注意している。
金沢第四高等学校の2年の時、コーチとして当時の東京高師(東京高等師範学校)から、今会津若松におられる和田晋先生と高野弘正先生が来られた。高野弘正先生の天才的な微妙な技には我れ人共に心から感嘆した。而して一方和田先生の人となりは我々剣道部の選手に深い親しみをおぼえさせた。和田先生はその時懸待一致即ち懸る中に待ちあり、待つ中に懸りありといふことを強調され、全員に大きな感銘を与えられた。何しろ田舎者ばかりで、ただ猛烈な稽古をして自分で考えているだけであった頃だから、このような専門的な話を聞くと何んとなく目が開けたような感じがするのであった。今私は全日本剣道連盟の役員としてむしろ問題を提出する立場にあるので剣道の理合や格言や道歌などについては一通り知っているが当時は専門的な事柄については全く無知であったのである。お蔭でその年(大正11年)の京大主催の高専大会で四高剣道部は優勝し、その翌年も亦そうであった。
四高の当時の剣道部長に上原菊之助という先生がおられた。その先生は初太刀を大切にせよと強調された。最初の一太刀、それが生死を決するのである。即ち先の太刀か後の先の太刀かで勝敗が決まるのである。爾来私は練習の際特に最初の数合を大切にした。
古来一刀必殺という言葉がある。この一太刀にこそ全身全霊の力をそそがねばならぬと思う。戦争に応召した時誰でもそうであろうが真剣を屢々振って見るものだ。真剣だからもちろん重い、その上に柄が短いので重心は先にかかる。従って相当に振り上げなければ真剣は有効に使えない。そこで自然と大わざにならざるを得ない。今の剣道を見ていると連続技が多く而かも最短距離で打とうとする上にスピードアップで竹刀を使う。竹刀であるから可能であるが、真剣であると可なりむずかしいと思われる。これは私の未熟なせいかもしれないが。併し大試合を見ていると勝敗を決するものは大技であることが多い。もっと竹刀を真剣的に使うことを考えてよいのではなかろうか。
剣道では無念無想ということがいわれ、大切だとされている。今これを文字通りに言い換えれば、念ずることなく、思うことなし、即ち無心の境地をいうのである。併し道場に立った時の私達の心境はどうであろうか、無心どころではない。常に相手の心を読み、動きを察し、技の変化を思い、静動、進退、表裏、虚実等々を考え、心を千々に砕く。而してその複雑な中で判断し決断し断乎として技に出る。かくて私は剣道程自他の心技両面について考えるスポーツ(言葉としての適否は別として)はないと思う。たとえばランニングではヨーイドンで唯一生懸命に走りさへすればよい。他の武道でも剣道程微妙で瞬間的なものはないように思われる。世上剣道は頭がよくなるといわれるのも全く宜べなるかなである。とは云え私達は試合又は練習中所謂無我無心の技が出ることを体験している。その時の心のすがすがしさは何んとも云えない。併しこの思わず、たくまずして出る技も瞬間的であり反射的であって練習中の一撃一突が常にそうでないのが遺憾である。では無念無想が強調される所以は一体どこにあるのであろうか。
又剣道では無我ということが云われる。これはただ我を忘れるという程の意味か、或は「猫の妙術」に云うところの「我あるが故に敵あり、我なければ敵なし、我が心に象「カタチ」なければ対するものなし。対するもののなき時は角「アラソ」うものなし、是を敵もなく我もなしと云う」その無我であるのか。一応は分かったようでもあるが、現実には未熟な私達の前には常に相手がある。まことにむずかしいのが剣道の修業である。
併しここで私は反省する。今迠述べて来たところはどちらかと云えば勝負にとらわれた次元の低いものではなかったか。剣道は畢竟ずるに勝負を超越した高い次元に於いてとらえられるべきであり、考えられねばならぬと。嘗て私の先輩は私達に「高邁なる精神とは何か」と問いながら、自から答えて曰く「其れは私心のないことである」と、要するに私利私慾から脱却して始めて立派な精神の持主となり、国家社会の大事に処することが出来るという訳である。而して無念無想というも、無我というも先ず一切の雑念利慾から脱却することが前提であり、そこに無又は空にして闊達自在なる境地が生まれて来るのではなかろうか。唯ここに注意すべきことがある。それは無とか空を文字通り解する余り人をしてややもすれば消極的ならしめ、静なる姿、無為の姿に化せしむる虞があることである。若し果して然らば無我や無念無想は換言すれば無又は空は害あって益なしと云はねばならぬ。併し決してそうではない。鎌倉建長寺の管長であった(菅原)曇華老師はその『剣と禅』に於て「由来静は動の為の静にして、動を得て茲に始めて其の静たる所以の真価を円成すべく、動は独り動たるに非ずして静の大根底に立ちて始めて真の動たるべし。故に静動は一体の両面なることを知らざるべからず」と喝破しておられる。従って先づ雑念私慾を断って唯一筋に剣の道に意慾を燃やしていそしんでこそ真の剣の修業があり得るのではなかろうか。
近頃勝敗に拘泥する人が多いと言われる。併し真の剣道の目的は徒らに勝敗の末にとらわれることなく、寧ろたたかれながらでも有形の剣より心の剣即ち心剣をみがくことにあるのであって、それこそ大切なのではなかろうか。
*現代剣道百家箴は、1972(昭和47)年、全剣連20周年記念事業の一つとして企画された刊行物です。詳しくは「現代剣道百家箴の再掲載にあたり」をご覧ください。