図 書
現代剣道百家箴
剣道という長い道
岳田 政雄(剣道範士八段)
人間形成、自己完成への方途は多いが、剣道こそ日本人としての私に最もふさわしい修養の道として、剣道を学び始めてから50年、私の今日あるは全て剣道のお蔭である。永い修行の過程においては、幾多の苦楽が往来し、感銘深いものも多いが、先師、先達の驥尾(駿馬の尾。すぐれた人の後ろ)に附して剣道という長い道をひたすら歩いたに過ぎない。体験など求められて面映い気もするが、少しでも参考になればと、感得した一、二を記して責を果したい。
その一は剣道修行の地に京都を選び、「稽古の場」に恵まれたことである。即ち旧武徳会本部はもとより、警察道場、弘道館、各学校道場等々、稽古にはこと欠かなかった。当時私は警察官を拝命し、武徳会本部近くの川端署に勤務し、立派な警察官は立派な剣士でなければならぬ、立派な剣士は即立派な警察官でなければと、心に期するものがあったので、頑健な身体を資本に、寸暇を惜しんで稽古、勉強に専念した。
第二は「良師、先達に恵まれた」。故小川金之助先生を筆頭に有名な先生方が在洛(京都に在ること)し、心技共に鬼面仏心、寛厳よろしきご教導を頂いたことは心密かに誇りとしている。「寄らば大樹の陰」という古諺があるが、その道の立派な「師」を選ぶということは、その人の生涯を左右することになるのであるから、「師」の選定には心して悔なきを期したいものである。良師、先達に恵まれたので、厳しい修業は、言語に絶した荒法師の如き先生、先輩の打突、体当り、足がらみ等々、「打たれて強くなる」を存分に実証して頂いたが、現在の若い剣士には想像外であろう。諸手突きをまともに喰って、あの武徳殿の高い天井がくるくると逆転したり、涙と汗で床をぬらしたり、太い柱にようやくつかまり青息吐息の苦しかった想い出は、単なる感傷ではなく、苦行の連続が私の人生に大きく役立ったと言いたいのである。人に知られている苦労は苦労の中には入らない。人に知られない苦労を自ら開拓する処に苦労の価値があり、進歩がある。この苦しみに耐えるには前進努力あるのみと、稽古の在り方、打突について思念工夫した。所謂事理一致の悟りを心掛け錬磨した。密かに庭に杭を立て「技」の稽古に、軒先に一文銭を糸で吊して「突き」の錬成に汗を流したのもこの頃である。
私は武道は単に道場稽古のみでなく日々の生活の中にも在ると胸に刻み、行じているが、見せかけの人間、人生でなく、真実一路、まごころをもって終始し、命尽きる時「礼」を言って終りたいと念じている「みん人の為にはあらで奥山に己が誠を咲く桜かな」の心境を失いたくない。常に心に刻んでいることばは、「剣は人なり心なり、剣を学ばんと欲するものは心を学べ、心正しからざれば剣亦正しからず」は戒心の言、「思無邪」「文武不岐 左文右武」は指導理念の一つでもある。
合 掌
*現代剣道百家箴は、1972(昭和47)年、全剣連20周年記念事業の一つとして企画された刊行物です。詳しくは「現代剣道百家箴の再掲載にあたり」をご覧ください。