図 書
現代剣道百家箴
私の体験
奥山 麟之助(剣道範士八段)
父は、私が幼いころ男の子とはめったに遊ばず女の子を相手に糸とりや、お手玉などして遊んでいる姿を見て、“男のくせに”なんとしたことか、困ったものだ、どうしたものだろうかと大いに悲しみなげいたすえ、男らしい精神をもたせるのには剣道が一番良いと気づき、私に剣道をすすめたのである。
そこで、始めて東京市四谷第三小学校の5年のとき、同校々長小菅吉蔵先生の指導をうけ、剣道を学び、以後この年に至るまで剣の道に没頭して来ました。50年の星霜を経て、幾多の苦労はあったが、ついにこの道を離れることが出来ず今日に至っております。この間に培かわれた精神は数限りがありませんが、そのうちでも強く残ったものは克己心と忍耐力でした。旧制中学校時代は、安田勝次郎先生や梅川熊太郎先生の指導をうけ、大正11年父につれられて神田の高野佐三郎先生の修道学院に通うようになってからは数多くの内弟子、先輩や、当時士官学校の助教連中に交って強くきびしく鍛えられました。関東大震災があって同学院もその災禍に会い、練習の場所をなくしたため、 昭和3年武道の伝統の地京都の武徳殿にその場を求めて入洛、当時主任教授であった内藤高治先生のもとに新たな修錬を重ねました。内藤先生の質実剛健の精神、礼儀正しいふるまい、物を愛する温情の精神など、私にとって幾多の教訓を与えられました。
私は、永年の間次の事項を実行してきました。年中薄着で過ごす、食事は2食、間食をしない、酒、煙草はたしなまない、ときびしく自分を律しながら今日に至ってまいりました。たまたまこれを聞き知って、ぜひ実験に応じてほしいと、当時耐寒実験に力を注いで おられた京都府立医大の前学長吉村寿人医学博士の懇望により、同博士の指導で第一生理学教室講師宇佐美俊一博士のもとで寒気生理精密実験を行ないました。それは、摂氏10度の部屋に3時間裸身で寝かせ、身ぶるいの初まるまでの時間、皮膚温度の低下速度、直腸温降下度、放熱量、産熱量など12項目にわたってくわしく測定しました。比較的鍛練されているといわれる自衛隊員の測定値とくらべたところ、皮膚表面13ヶ所で測った皮膚温度の降下は、私が9.3度に対し、自衛隊員は8.1度であり、温度の降下が大きいほど寒気に対する反射が強い訳で、つまり私の場合は、放熱を少なくするための調節がきわめて順調におこなわれていることになるのです。また、体内から逃げ ていく熱量を補うため産熱量(皮膚面積1平方メートル、1時間当り)をみても私は55.8カロリーで、自衛隊員の61カロリーにくらべて少なく、エネルギーの消耗率が少ないことが証明されました。
こうした結果から同教室では「やはり日ごろ鍛練している人は耐寒性が強いことがはっきり証明されたものである。こうした結論は長年にわたってたゆまず続けている人にあらわれるもので、鍛練を中止すればやがて普通人と同じようになってしまう」と語っており、このことが学界に報告され、同時に新聞紙上にも掲載され、健康管理上大きな教訓をあたえたものであります。
私の実行と習慣がおのずから習性となっているため、さして人が考えるほど苦痛を感じません。実行さえすれば出来るものと確信し今日に至っており、ここに、
一剣不動心
いう言葉が生れるにいたりました。私の今後の余生はまだまだこの信条をもとにして剣の道に精進するばかりです。
*現代剣道百家箴は、1972(昭和47)年、全剣連20周年記念事業の一つとして企画された刊行物です。詳しくは「現代剣道百家箴の再掲載にあたり」をご覧ください。