図 書
現代剣道百家箴
剣恩
加徳 太平(剣道範士八段)
人間は一生が修行だと云いますが、私が72歳の現在迄、心身少しの不安もなく剣道一筋に没頭出来ているのは数々の恩恵に支えられてきたからだと思います。
その第一は良き師に恵まれたことです。とりわけ、近藤知善先生には、大正15年来50年近くも公私に亙って、はかり知れない程の教えをいただきました。20代の私は、京都の道場でそれこそ殺されるのではないかと思う位、先生にシゴかれたものです。その先生曰く―― 「加徳君は剣道は下手だが、至極稽古熱心なところが取り得です――。」全く、才能の乏しい私は、人の二倍も三倍も稽古することで、とにかく人並みに追いつこうとしか考えませんでした。
一口に恩恵といっても、幸いな事ばかりを指すのではありません。くるしい経験、にがい思い出も又、私にとっては広い意味で恩恵の中に教えたいのです。戦後の追放令がそれです。戦時中武徳会県支部の剣道部長をしていた廉で、私は公職を追われました。続いて剣道禁止令――。
40代で剣を奪われた私に出来ることといえば百姓の真似事と、家を売り喰いすること位でした。が、ドン底生活の中でも、剣道に対する情熱だけは烈々と燃し続けました。同志を集め、占領軍の目の届かぬ頃おい、公園や校庭とたえず所を変えながら、竹刀の音を絶やさなかったものです。苦境のさなかでしたが、剣道が私の救いであり、同時に、順境にあってはとても望めない新しい眼が開かれる思いでした。
間もなく、占領が解かれ、剣道復活の日が来ました。苦労のあとの喜び、これは又何と大きかったことか。 六十路の私を待ちうけていたのは頑固な皮膚病でした。人は痛みより痒みにずっと弱いと云います。 夜昼なく、頭部から上半身にかけて夥しい湿疹が私を責め苛むのでした。医師は私に、剣道をやめなければ治らぬと宣告しました。確かに暫く稽古を休めば、その間はぐっと具合が良いのです。けれども、剣道を捨てて一体私に何が残るというのでしょう。
私は執拗な湿疹と刺し違える肚をきめて、剣道の稽古は一日たりともゆるがせにしませんでした。そして苦闘8年、やっと身体の難敵をねじり伏せることが出来ました。この試練を通して、私の心身は一層強靱になったようです。試練も又恩恵と思う所以です。
恩師近藤知善先生は、広島で原爆に遇われましたが、トッサに机の影に身をひそめて掠り疵一つ負いませんでした。「剣道がわが身を救った」昨年8月に85歳で天寿を全うされるまで、これが先生の口癖でした。
私も亦、剣道で救われている自分だと泌々思われてなりません。
*現代剣道百家箴は、1972(昭和47)年、全剣連20周年記念事業の一つとして企画された刊行物です。詳しくは「現代剣道百家箴の再掲載にあたり」をご覧ください。