図 書
現代剣道百家箴
私の剣道略伝
神尾 宗敬(剣道範士八段)
尊い体験、信条、深く心を打つ言葉等について投稿せよとの依頼により今更らのように私自身を見つめた。あまりにも平凡な過去で現在もひたすら学剣者と自任し努力しているにすぎず後続人に対して「何か」と云われただけでも冷水三斗の境地である。然し頼まれてお断りする訳にもいかず苦心して付けた表題の下に書き綴りその責を果たすと共に更らに自分を開発したい所存である。
大正11年4月故高岡増彌先生、故林田敏貞先生に依って剣道の手ほどきを受けた。好きでも嫌いでもなく正課の授業には出席していたようである。竹刀をやっと振り廻すようになって中学を卒業して2年後故鶴田三雄先生のお力添えで国士館に第二期生として入学した。
同校は誠意、勤労、見識、気魄の四大綱領の下に校風確立に懸命の時であった。厳しい規則の下に早朝と午后の稽古が行われた。我々の担任は小川忠太郎先生であった。剣道の合間に話される実践道徳の内容あるお話は我々若い者の心を引きつけていた。故斎村五郎先生がお見えになった時は、上級生の占有で我々は先生の稽古のお姿を遠くから拝見する丈けであった。故大島治喜太先生、小野十生先生、斎藤今朝治先生、堀口清先生、村岡三九郎先生等々それぞれ異なった偉大な剣風に接して過ごした4ヶ年の学生生活は、私の剣道の基礎固めとなった貴重な時期であった。国士館生活の間に「誠意」について自問自答した。副島(義一)博士、(徳富)蘇峰翁の講話等拝聴して居る裡に「誠の道」「人倫の道」「人に誠意をもって接する」など自己を厳に律しつつ他に誠をもって接することを実行したいと思った。今日までそのことを日常生活にとり入れて深浅厚薄の度はあったが、その真意は貫いて来たつもりである。今後とも此の信念は堅持して行く決意をしている。
昭和14年郷里の部隊から陸軍戸山学校へ転補になって異種試合、高度な試斬り等当時必死になって修得した戦技と天覧道場に於ける現在の持田先生、故斎村先生、故伊藤先生、故江口先生方に対して毎週必死の気持でぶつっかり御教導を仰いだ満5年6ヶ月の修錬は、板の間剣道より外に知らなかった私の視野を大きく拡げまた道場剣道の峻険さを知らさせて頂いた期間であった。
終戦後も戦前と変らず週3日の稽古日を定めて稽古を続けて居られるという話を聞き、16キロの道を遠しとせず故古賀栄信先生の門を叩いた。鶴田先生を会長に頂く熊本剣道クラブが発足する迄の2ヶ年半同道場に御世話になったが、その間、剣道に対しては厳格な態度での御教示また御造詣深い刀剣、茶道についてのお話は私の心に潤いを与えて下ったこと今もって感謝して居る。昭和31年から約13年間、剣道を修錬することによって心技体ともに立派な警察官を育てる業務に専念した。此の時機に精神面として誰が造語したか失念したが「得意冷然失意平然」の字句を得た。これは斎村先生が良く引用された「平常心」と私は同一義と解釈して座右の銘として居る。斎村先生が「平常心」について研究され実践されていたこととには未だ遠く及びもつかないが、私は「得意冷然失意平然」の中に含まれた多くの意義を良くかみしめながら、これから生活して行く上に活用して行き度いと念願して居る次第である。
*現代剣道百家箴は、1972(昭和47)年、全剣連20周年記念事業の一つとして企画された刊行物です。詳しくは「現代剣道百家箴の再掲載にあたり」をご覧ください。