図 書
現代剣道百家箴
私の剣道修行
紙本 栄一(剣道範士八段)
わたしの恩師は、明治大正昭和の剣聖と云われた剣道範士居合道範士杖道範士の中山博道先生である。先生は、常に門弟に対して「なしがたいことをなすのが修行である。」と話しておられたが、この教えは今でも私の頭に強く残っている。
昔から剣道は「打たれて修行せよ」と言われている。剣道は礼に始まり礼に終わるのである。打たれて「参りました」と頭を下げるのは剣道よりほかにはない。次に相手を打ち返せば相手も「参りました」と頭を下げるのである。これが真の修行であり、これを積み重ねてこそ、自然に人間形成ができ上り、人格修養のもとになる。わたしは「剣道の本質とはなんぞや」との問いにいつも「字に書けば正直と書く」 と言っている。剣道は正しい姿勢・態度・気合い、打つ太刀は直でなければならない。いくらうまくあたってもごまかし剣では上達は不可能である。昔の剣客島田虎之助先生は「心正しからざれば剣も亦正しからず」とうたわれ、剣を学ばんとする者はまづ心をみがけ」と言わ れた。精神と身体が一致しなければりっぱな者とは言われない。
ゆえに、剣道修行者は、剣理と剣技を修養鍛錬してこれを完全に身につけるとともに、偉大な精神力と強力な肉体力を養成しなければならない。精神力は、身体上の障害を克服し、また暴力の横行を許さない力となり、そして肉体力は、それらいっさいを克服し尽くすに足るものである。
最近、全国的に青少年の剣道が盛んになってきたが、このことは青少年育成に剣道が必要であると言うことが一般的に認識されてきたことによるものであってまことに喜ばしい。吾々は、このような一般の期待に副うべく青少年の指導法を誤らないように心掛けることがたいせつである。そのためには剣道が好きになるように指導することが必要である。昔から「好きこそものの上手なれ」と言われているように 青少年が「飯を食べるよりも剣道が好きだ」と言うように指導する者こそりっぱな指導者であると言わなければならない。剣道ばかりでなく、他の勉強もまた同じである。
わたしが今日あることは、ひとえに剣道のおかげである。剣道により、自己の修養を積むことができ、そのうえ世のため人のためになればこれほど幸福なことはない。
これからも、剣道を通じて青少年の健全育成に努めていくつもりである。
お互いに汗を流すことの中にこそ、一生の修行があり、わたしたちの人生があるのではないだろうか。わたしは、69才になった今も毎日若い人を相手にけいこをすることができる。わたしの人生は、剣道のできるかぎり幸福と感謝の念でいっぱいなのである。
大先輩の諸先生方は今なお矍鑠として稽古をつけておられる。これに比べるとわたしたちはまだまだ子供であり、努力しなければならないと思う。
*現代剣道百家箴は、1972(昭和47)年、全剣連20周年記念事業の一つとして企画された刊行物です。詳しくは「現代剣道百家箴の再掲載にあたり」をご覧ください。