図 書
現代剣道百家箴
剣徳救世
小澤 武(剣道範士八段)
「剣道は我々の祖先が残された尊い遺産であって、剣を学ぶ者はその徳を後世までも残さねばならぬ」とは、あらゆる大会、講習会において全日本剣道連盟会長木村篤太郎先生の必ず申される訓辞である。
「剣道は日本に生れ、日本に育ち、日本人の身体及び精神を鍛錬するに最も適した修養道である」と私は信ずる。日本民族の世界に誇り得る武士道精神も一にこの道の修行によって育成された、と断言しても決して過言ではない。
「徳川三百年の幕府政治が終り、世は明治の御代となり、武士階級は没落し、帯刀が禁止された。日本剣道の最も危機に瀕したこの時、水戸藩校弘道館の北辰一刀流師範であった小澤寅吉政方は考えた。“世の中がいかほど変ろうとも斯の道(剣道)は蜘蛛の糸ほどでも残さねば、先祖様はもちろん後世の人にも申し訳がない”と自家の邸内に道場を設け、東武館と名付けて開館したのが明治7年1月1日であった。時に世はあげて欧化万能時代であり、館祖はあらゆる迫害にもあったが、文武不岐、学業一致の弘道館教育精神を旗印として、志のある少年を集め北辰一刀流、新田宮流抜刀術を黙々として指導していたのであった。
明治の中期となり、日本の発展とともに剣道の重要性は再認識され、京都に大日本武徳会が結成されて全国的にその指導者が求められた際、脚光を浴びて登場したのが内藤高治、門奈正、佐々木正宣等の未だ30才代の若手剣士で、武徳会本部及び武術教員養成所の師範となったのであった。この三剣客はいずれも東武館少年出身であった。二代館長小澤一郎弘武は先師の遺業を継ぎ、多数の門弟を育成し、特に剣道教育の重要性を痛感し、全国の同志と相図り剣道を中等学校の正課として採用されるよう帝国議会に陳情請願すること十有余年、遂に当局の認めるところとなりその実を挙げることができたのである。
今や剣道人口300万、全国津々浦々に竹刀の響き、少年剣士の裂帛の気合、雄叫びが聞こえて剣道の隆盛を見るとき、実に感無量なものが あると同時に、先祖の遺業の偉大さに頭が下がるのである。
今回、全日本剣道連盟創立20周年記念行事として剣道八段選抜優勝大会が九段坂上の日本武道館に皇太子御夫妻(現上皇陛下、上皇后陛下)と剣道を愛好される皇孫浩宮さま(現天皇陛下)をお迎えして行われた。満堂の観衆は感激の中にこの世紀の大試合を見守ったのであった。実力最高のこの剣道八段選抜試合はまことに美事であり、壮観であった。この大会に先だち慰霊祭が厳粛かつ荘重に行われた。祭神の物故先師も定めしご満足であったろう。次いで全国より選ばれた剣道功労団体の表彰が行われた。わが東武館は本部推薦団体として木村会長より直接表彰状を頂戴した。その感激また一入深いものがあった。先祖様も定めしお喜びであったろう。
東武館は朝に、昼に、晩に、剣道、薙刀、居合、吟詩、古武道と、館を埋め尽した館員一同嬉々としてこの道の修行に精進している。毎年3月梅の花の綻びる頃催している全国少年剣道錬成大会は参加人員5千を突破し、日本全国はもちろん海外からまで参加し「水戸魂を戴きに来た」という盛況さは何とありがたいことか。館も財団法人となり、市も県もまたあらゆる階層より物心両面の支援も定まり、全国少年剣道錬成大会は、春の観梅、夏の黄門祭と合わせて水戸名物三大お祭となった。
東武館もあと2年で100才を数える。歴史に遺る盛大なる先祖祭の大演武大会を今より楽しみに計画している。
*現代剣道百家箴は、1972(昭和47)年、全剣連20周年記念事業の一つとして企画された刊行物です。詳しくは「現代剣道百家箴の再掲載にあたり」をご覧ください。