図 書
現代剣道百家箴
私の剣道修業
小島 亀太郎(剣道範士八段)
1.剣道修業中の体験、信条其他に就いて
剣道に志した動機、幼少の頃郷里では当時青年会で剣道が盛んであり村社(地域の氏神)の祭礼には奉納大会等あり興味をもって参観した。14才の時剣道を習い始めたが村内では一番年少であった。17才の折県下青年剣道大会に優勝し本格的に剣道の先生になりたいと決意し、警視庁警察官を拝命剣道修業に精進いたした次第である。元来身長160cmで背が低く人一倍稽古をしてこれを克服すると云う信念のもとに精進した。そして常に上位を望んでやまなかった。鶏口となるとも牛後となるなかれの格言通り警視庁剣道選士として昭和7年全国警察官武道大会に団体優勝。私は全勝し面目をほどこし剣道専門家としての第一段階を突破することが出来た。
2.稽古に対する心構え及び方法に就いて
剣道には稽古は強いが試合には弱い、試合は巧者だが稽古は弱いと云うのがままあるが、私はこの点について稽古の時は試合のつもりで稽古する。初一本は必ずとると云う信条であり今でも変りがない。又出来る丈短時間に自己の気力体力を消耗すると云うやりかたを信条とし、いわゆるだらだら稽古をいましめて来た。瓦斯は圧縮するほど爆発力が強いものである。私の同僚に稽古自慢の人が居った。朝講談社の稽古、午前中警視庁、午后警察署、夜は町道場と日に四回、時間にしても相当なものである。私の倍位稽古してる訳だがあまり強くもならなかったと記憶する。いわゆるだらだら稽古の標本と思う。気力体力を集中して稽古することこそ肝要である。
3.試合に就いての心得
試合には全智全能を傾むけなければならない。精神的な面が作用し易い初歩のうちは試合前10分位前小用をしても又尿意を催す時もある。剣道は平常心これ道なり。如何なる場合でも事に臨んで平常心であれば大過はない。大事な試合には前夜神経が高ぶって熟睡出来ない事もある。そんなときは翌日の試合は思うように行かない。前夜に栄養をとって早く寝るなどし、気をつかって却って夜中に目をさまし、今度は寝付かれず疲労する結果となる。私は普段の生活様式を絶体にかえないことにして今日迄幾多の試合に全力を出し得たと思う。平常心これ道なりに通ずると思う次第である。
4.剣道即生活
私の剣道修業57年の体験から慾心をすてることが即ち無我の境地に近づく事であると思う。これが社会に処する私の信条である。
*現代剣道百家箴は、1972(昭和47)年、全剣連20周年記念事業の一つとして企画された刊行物です。詳しくは「現代剣道百家箴の再掲載にあたり」をご覧ください。