図 書
現代剣道百家箴
小川金之助先生のことども
斉藤 正利(剣道範士九段)
一期一会と申します言葉は、茶道の本で見た事がありますが、剣道にこそ、ありたい言葉ではないかと思います。もう20年も前の話ですが、私にとりましては眼の当り見える様でつい最近の様に感ずるのであります。戦後剣道の出来なかった頃でありますので道場も4、5人の方々が集られるのがせいぜいの様でした。小川先生は御所の皇宮警察に御指導にお越しになって居られました。先生のお越しを伺っては自転車で飛んで行き、稽古をつけて戴くのを楽しみにして居りました。先生のお越しでない時も道場に上り込み、奥山先生と話して帰る事もありましたし二人で立合って帰る事もありました。
小川先生はよく御指導下さいました。学生時代や助手時代には、親しく思いのままをお話しする事が出来ませんでしたが、この時は火鉢を囲んでお話し出来ました事は、何にもまして有難かったと思います。一期一会の気持ちまでは参りませんでしたが、今考えて見ますとかなり微細な点まで、気の付く事がありました。
先生は業を教えられます時によく人指しゆびを一本だされて、物を指し示めす様な形で手首のところで打突をされますのです。あとで皆と真似るのですが、うまく出来なかった思い出があります。先生の手首がものすごく柔軟なのではなかったかと、今でも不思議に思って居ります。先生も権勢をはなれて小川先生其のものになって居られましたし、私共もわだかまりなく弟子と先生として接する事が出来ました。先生は私共が、稽古をつけて載きに出るのを大変喜んで居られました。先生は私の呼吸が乱れて了いますと、回復するのをお待ちになって又一本を御願いするのが習わしでありました。此の頃の様に多数の方々が来られる様になりますと意気も張ってよいと思いますが、2、3人で心を澄し稽古をつめますと又別な心境を得られるのではないかと思います。先生は或る場合にはすばらしい技をお示めしになる事がありました。其の後其の技を思い出して練習を致しますが到底思う様に参りません。又ある時先生は、試合には、先と間と勘の三つが大切だとお教えになり、三つとも同じ様なものだが、と申されました。其の言葉が妙に頭にこびりつきまして離れず、今でも立合ます前に考え合せます。
其の後私も大阪に勤めを得まして、先生に稽古を戴く事が出来なくなりましたが一期一会と思い、もっと心あたたかくもっとお聞きして置けばよかったと思います事が沢山ありますが、今となりましては空しい事であります。
*現代剣道百家箴は、1972(昭和47)年、全剣連20周年記念事業の一つとして企画された刊行物です。詳しくは「現代剣道百家箴の再掲載にあたり」をご覧ください。