図 書
現代剣道百家箴
稽古は人の三倍 恩師の教えを守って40余年
崎本 武志(剣道範士八段)
私は東北の山の中、(宮城県大崎市)鳴子温泉町に生まれました。家の近くに警察署があり、警察官に剣道の手ほどきを受けたのが15才の時でした。その私が後に兵庫県警察で、35年もの長い間警察官を指導することになったことは、何かの因縁でありましょうか。私は剣道が好きで好きでたまりませんでした。京都武専(大日本武徳会武道専門学校)に入り立派な剣道家になろうと決心しましたが、家の者は「商家の子は商家の子らしくしては」と許してくれません。しかたなく代用教員をしながら受験準備をしました。昭和3年意を決して京都へ。武徳殿の威容、受験生の堂々たる体格、角帽紋付姿の武専生等、今日でも印象に残っています。私は剣も文も基礎的なものが充分でなく、最初の試験は残念ながら失敗しました。しかし何がなんでも武専に入ろうと再起の執念をもやし続けました。「努力だ。努力だ。負けてはいけない。今に笑える日がくるぞ。」「不器用と人はいうとも稽古せよ、器用ばかりが如何であるべき。」と寸暇を惜しみ、文に武に猛烈な努力をしました。小学校での一人稽古に「崎本先生」気が狂ったのではないかと心配してくれる村人もありました。昭和5年背水の陣をしき受験しましたところ、幸いにも難関を突破し、あこがれの武専に入学することが出来ました。入学の喜びもつかのま、学年主任津崎現範士九段に呼ばれ「君は太りすぎだ。人の三倍の稽古をやらなければ一人前になれないぞ。」とさとされました。私は「やります。」と誓いました。武専は礼儀作法正しく、その上諸先生、先輩の稽古は特に厳しく、打込み切返し、掛り稽古等、体をぶっつけあっての猛稽古であり、足がらみ、むかえ突、組打ち等少しの油断も出来ません。息もたえだえに後にさがっておると、「崎本、もっとやれ、もっとやれ」とうながされるつらさ、太りすぎの私もやせる一方で、今日の稽古とは雲泥の差があり、激しい苦しい毎日でした。本科生講習科生の稽古も連続して行い、冬休みなどは帰郷せず、恩師との誓いを果そうと努力しました。
あの尊い御教訓をいただいてからもう40余年になります。寡黙で社交性に乏しく、不器用な武専タンクといわれた私も63才を迎えました。一年一年体力はおとろえ、研究心も反省心も鍛練心も弱りがちになりますが、御教訓は何時も何時も私に活を与え、私の人生に幸を与えてくれました。剣を学ぼうとする者は、人の三倍するの決意をもって努力することこそ肝要であり、これこそ人間形成の根本をなすものと、私は信じております。終りに私の剣と人間修養とに役立った歌を紹介して擱筆します。
剣道は 行方も知れず果てもなし 生命かぎりのつとめなりけり
幾度か ふみにじられしたんぽぽの 花咲きにけり今日の日和に
*現代剣道百家箴は、1972(昭和47)年、全剣連20周年記念事業の一つとして企画された刊行物です。詳しくは「現代剣道百家箴の再掲載にあたり」をご覧ください。