図 書
現代剣道百家箴
私と剣道
佐藤 金作(剣道教士八段/全剣連理事)
私は今日まで50有余年剣道の中で生活してきましたが、いまだに真の剣の心も悟れず、また人に語れるほどの実力もありません。従って、先輩然として「いましめの言葉」を語る資格も器量もないのですが、剣道に志す若い人たちに少しでもお役に立てば幸いとほんの一端を申し述べてみましょう。
私は幼少の頃、父から剣道を習いはじめました。生家が大きな農家だったので庭前は広く、屋敷の周囲には空地も多く、春夏秋冬、青空道場で、時には台ランプ、吊るしランプの灯で稽古しました。雨や雪が降れば雨屋(納屋)の土間で、夕食の団欒には箸で、また食事がすめば囲炉裏を囲んで火箸でというように父子の話題はいつも剣道で、母もそれを心から喜んでおりました。心の優しい父でしたが剣道については厳しく、礼儀作法もうるさい師匠でした。暑さにうだる土用稽古、白い呼吸を吐き吐き、裸足で霜柱を踏み砕いて頑張った寒稽古等、幼少の記憶は亡父の想い出とともに忘れることができません。6才の秋、村の鎮守の祭の恒例の撃剣大会で人生最初の試合をしましたが、年長のOさんにしこたま面を二本叩かれて完敗しました。あれから今日まで勝ったり負けたり、負けたり勝ったり剣道精進を続けてまいりました。永い剣道生活で私にとって最も幸運なことは多くの良師良友に恵まれたことです。その最初の出合いは宇都宮中学に入学して剣道師範の蓬田喜一先生にめぐり逢ったことです。先生には剣技は勿論のこと、剣道の修行即心の修練ということを道場だけでなくあらゆる機会に教えられたのです。その後、本格的に剣道修行を志して東京高師(東京高等師範学校)に入学し、高野佐三郎・佐藤卯吉・菅原融・森田文十郎・富永堅吾の諸先生の薫陶の幸運に恵まれました。在学中、師匠から授かった数々の有難い教えは今なお生活の心の支えとなっているのです。学校を卒えると、千葉県成東中、広島県呉一中に奉職し、戦争応召(満洲、南支〔中国南部〕、遠く南海のラバウル、ニューギニア、マニラ)満5年間、海に山に幾多転戦の末、負傷、内地帰還して終戦は母校宇都宮中学でした。20年11月には学校剣道禁止令で、剣道具は一切焼却せよとの占領軍の厳命があり、剣道具と涙の訣別をしたのです。その時、私は九死に一生を得た生命を剣道再興の悲願に捧げようと心に誓い、焼け跡の一隅で愛好の有志と稽古をはじめました。やがて、しない競技復活、続いて待望の学校剣道が陽の目をみることになり、そして、全剣連20周年慶祝の今日を迎えるにいたりました。
さて、今は経済成長のかげに「物を得て心を失った」とか、「甘やかされ教育ではものにならん」、「逆境にまさる良師なし」とか青少年教育と日本の前途を憂うる声が高まりつつあります。よい子、強い子、正しい子のための剣道に大きい一歩前進の気構えが大切でありましょう。私の息子たち(二人とも〔東京〕教育大卒)も後継者として剣道教育に精進しています。民族伝統の古武道の精神を十分に生かしながら新しい時代の心身共に健全な立派な日本人づくりに貢献できることを念願してやみません。時には激しく厳しい道ではありますが、あくまでも誠の愛の剣道、人間教育の剣道を目指して情熱を尽くしてまいることこそ私の使命と確信しております。
*現代剣道百家箴は、1972(昭和47)年、全剣連20周年記念事業の一つとして企画された刊行物です。詳しくは「現代剣道百家箴の再掲載にあたり」をご覧ください。