現代剣道百家箴

初心をわすれないこと

佐藤 貞雄（剣道範士九段）

　各道とも、其その道を修行するに際して、先哲せんてつの訓おしえに、常に、「初心を忘れぬこと、肝要かんようなり。」と述べられているが、尊い教えである。初心とは、其の道の基礎を学ぶ、身も心も初心のときをいうのであって、私どもの学び修める剣道においては、特に大切な訓えなのである。はじめて剣道を修行しようとするものは、先ず、道として大切な徳目とくもくの第一歩である礼を訓えられ、其の所作しょさを習うのである。次に、剣道で最も大切な基礎である「構え」を教えられ、これを習い、それから打突の基本技わざにはいり、これを反復練習して、打ち、突き、を覚えてくるのである。

　次に連続技を習い、切返しを覚え、漸ようやく、剣道具を着けて、掛り稽古の方法を習得し、順をおって、応おうじ技や、摺すり上げ技、抜き技を覚え、大切な間合を教えられ、形式的にも試合が出来得るようになるのである。このようにして繰り返し、繰り返し段階を経て、高段に進むのである。その進む日々の稽古を通じて正しい礼儀の意味や、道をとおして、最も大切な剣道の徳目を認識しつつ、身心を修めて行くのである。其のために、高段者になると、心構えも出来上り、姿勢や態度も他のものより優れ、又品格がでて、自おのずから修行の高さがうかがえるのである。その修行の高い人こそ、剣道を学ぶものの模範であろう。

　其の反対に、道として大切な徳目を修めることを等閑なおざりにして、只試合に勝つ、腕力が強いといった技のみを求めている人は、自から慢心となり、謙虚な心を忘れ、礼譲れいじょうもなくなり、暴慢ぼうまんな剣技となり、ともに学ぶ人々から爪弾つまはじきされるようになるので、常に忘れてならないことは「初心」であり、何時いつも謙虚の心である。

　私どもの日々求めて止まぬ剣道の蘊奥うんおうは、極めて深いのである。其の模範となる先生方の剣技は、あらゆる技を習い、その技を使い尽して、初心時代の基本技に還かえってくるのであって、其の基本に還った技こそ、剣理に合致した絶妙の剣技といわねばならない。 一刀流の主眼 とする「一刀より万刀生じ、万刀廃すたりて一刀に帰きす。」の教えの如く、剣道の最高の極意ごくいといわねばならない。

　剣道の上達の道標みちしるべとして、段位の審査がある。この審査は、受験される方々にとり、平素精進された実力の度合を識しるために大切なことであるが、その受験の折にたまたま観るのは、余りにも当てることのみに専念して、無理な技を出している人があることである。これは修行が足りないのに、只昇段のみを求むるかにみえる。又その反対に余り打ちを出し過ぎてはいけない等と思って、審査を特別に考え、自己の力を偽り、模倣もほうのみで、形だけ作っていることは決して良い結果を得られない。修行に専念して、自ら技前がおさまり、正しい基本の打ち方に還り、心気力一致は勿論もちろん、剣理に合致したものこそ、高い段位の合格者となるのである。

　高い段位に進まれんとする人は、剣技の上達とともに、常に「初心を忘れず」人生をより高く創造して、立派な剣道人であるとともに、社会人として世人の模範となられるよう希こいねがうものである。

＊現代剣道百家箴は、1972（昭和47）年、全剣連20周年記念事業の一つとして企画された刊行物です。詳しくは「現代剣道百家箴の再掲載にあたり」をご覧ください。