図 書
現代剣道百家箴
思い出
清水 義男(剣道範士八段)
剣の道とは、かくも遠くむずかしいものかと、今更乍ら研修をしているが、私が13才の頃より剣道を教えられ、今日に至るまで50余年の長い年月を、戦前はプロで、戦後はアマでと、世の中が変わるたびに私の人生も変っては来たが、只一つ変らないのが剣の道の遠さとむずかしさであり、若い時代は西に東に修業に出ては、ひたすら稽古で強くなる事ばかりを願って励んだものである。
思えば、今より40余年前、三橋先生が高師(東京高等師範学校)より岐阜師範へ赴任され、次の東京へ転勤されるまでの間、岐阜の武徳殿で2人が稽古する事が楽しみに、私は25キロの道を自転車で毎夜通ったものである。当時の話をすると、三橋先生も良くやったものだと云われているが、今日の若いものに出来るだろうか。鍛錬もせず、ただ段を取る事ばかりを考え、鍛錬することを怠っているのではなかろうか……と思うものである。
私は、昭和4年5月御大典記念に宮中に於いての御前試合に岐阜県代表として出場して、持田盛二(現存)高野茂義(死去)先生の優勝戦を拝見して「俺も男ならやろう」と決心をし、専門家として立つべく以後の稽古は専門的修業をした。
戦後始めて撓競技が生まれ、国体協賛で名古屋に大会のあった時、駅頭で京都の宮崎先生にお会いして、私が「先生、撓競技も良いけれど袋竹刀の軽いのには困った。」と申し上げた時先生曰く「清水君、剣道家は重いものを軽く使い、軽いのを重く使うのが専門家である。」と云われ、私は心うたれるものがあり、当日は目出度く岐阜県勢が優勝となった。今日まで、否、私は終生この時の宮崎先生のお言葉は忘れることが出来ないのである。
今日、尚一層の稽古を重ねる為に、私は10余年の間毎朝未明起床2キロの道をトレーニングしているが、都会の先生達は朝稽古が出来るのがうらやましく思う次第である。
私は教え子達に「剣道に天才はないのだ。ただ稽古、修業あるのみだ。」と言い聞かせている。
今日、此の道に精進されつつある同志の方々よ!! 益々健康に留意され、斯道発展の為に尽されることを念願するものである。
*現代剣道百家箴は、1972(昭和47)年、全剣連20周年記念事業の一つとして企画された刊行物です。詳しくは「現代剣道百家箴の再掲載にあたり」をご覧ください。