図 書
現代剣道百家箴
随感
菅原 恵三郎(剣道範士八段)
天の位
上段の構えを別に「天又は火の構え」と称します。上段は厳にして堂々、気位は天、激しさは燃える火の如く、勇猛敵をのむ気概と迫力をもって常に相手を圧服する態度気勢が大切です。
剣豪故高野茂義範士の左上段はその荘厳さにおいて比類なく、先生の上段に相対する者はみな萎縮して退くばかりでした。そこで先生はゆっくりと小手あるいは面と打ちおろすのですが、それがはっきりわかっていてもどうにも防ぎようがないのです。不思議と言うより外に言葉がないわけです。
本物の上段とはあのような上段を云うのでしょう。教えをうけて幾星霜、位のある上段を学びたいと念じながら稽古を続けていますが「日暮れて道遠し」の感です。
打ちに残心
残心とは通常打突した後気勢をゆるめず油断のない心を残すことと打突する際心を残さず全身全霊をあげることも残心と云われています。打った後心を残すと云うことと、心を残さず打突すると云うことは、相反するように考えられますが、心を残さず打突すれば自然と油断のない心が残るものでこれが真の残心と言うべきです。いついかなるところを打突しても、「打ちに残心」がなければならないもので修練をつんでそこにいたればことさら残心などと云う必要がないでしょう。
声
掛声は自身の気力を増し、動作打突の勢力を強大にし、相手に威力を加えて気勢を挫きその動作を制止するのにもっとも有効であるから一種の武器であると言っても過言でない、従って掛声は力強く下腹から大きく出るものでなければならず口先から出る掛声は効果がないばかりかかえって相手から軽視される場合があります。又野卑で下品な掛声も厳に戒めなければならないものです。古訓に「心正しからざれば声清からず気満たざれば声弱く云云」とあり濁りのない清い声は正しい心から発するもので又気力の充実している状態からしっかりした力強い声が出ることを説いているのです。清く大きく力強く相手の肺腑を抉るような鋭い掛声を身につけたいものです。
*現代剣道百家箴は、1972(昭和47)年、全剣連20周年記念事業の一つとして企画された刊行物です。詳しくは「現代剣道百家箴の再掲載にあたり」をご覧ください。