図 書
現代剣道百家箴
守破離
鈴木 幾雄(剣道範士八段)
剣道連盟発足20周年、お目出度い極みである、併しその間剣道発展のために努力された方々のお骨折りは言葉では言い表せないものがあることを忘れてはならない。
此のような発展を見た大きな原因の一つとして剣道が学校に正課として取り入れられたことである、戦前に大いに発展したことも同じく学校の正課体育として取り入れられたからである。即ち青少年の剣道普及が現在の剣道発展の大きな原動力である。青少年を如何に指導するか、それには自分自身は如何に修業するか、如何に勉強するかが大きな問題である。
物事、総て、特に剣道においては、守、破、離、の段階を尊ぶものである、剣理術理は先人が生命を賭けて研究し尽されている。残されて居るものは指導の方法、裏返せば修業の方法である。これは明治の世に大日本武徳会が発足し、学校へ剣道が正課体育として取り入れられてから大体一つの練習の態形が作られ、戦前戦後を通じ現在まで踏襲されて60年以上続いている。
「之で良いのか」剣道の修業法、即指導法はこれで良いのかと私は反省する。守の段階から一歩も出ていないのではないか、破から離の状態には誰がするのか、之れからの若い人達に期待する処が大きい。
剣道学者は色々と高邁なる剣理術理を研究している、併し何時になったら、それを実際に応用する方法が考えられ、修業法、指導法が改善されるのだろうか、研究の為の研究の感がある。一方実際に指導に当って居るものは相も変らず明治以来60年続いている指導の方法に依って昭和の、しかも戦後の青少年を育てているのが現状である。
「これで良いのか、それで良いのか、それは誰が考えることか、これは誰が実行することか、次の時代の指導者である皆様方である。我々剣道修業者は、先人、先生、先輩を崇拝し尊敬し、その教えは良く守り、遵奉することは他のスポーツ人の考えられない程、律義である。 即ち守の精神は行き過ぎる程であるが破離に至ると理屈としては考えているが実際には抜け出せないのが実状である。特に修業面、指導面 においてその感一入深いものがある。
何卒、次の時代の指導者たる方々、この指導法即修業法の分野に於いて守、破、離、であって戴きたい。それが次の時代の剣道発展の大きな原動力となることと信じて居ります。
*現代剣道百家箴は、1972(昭和47)年、全剣連20周年記念事業の一つとして企画された刊行物です。詳しくは「現代剣道百家箴の再掲載にあたり」をご覧ください。