図 書
現代剣道百家箴
私の剣道観
鈴木 恒雄(剣道範士八段)
諺に「運」「根」「鈍」ということがある、この諺ほど人間形成に意義深いものはない、この3つの歯車の噛み合いが正常に作動すれば物事は万事大成するものである、もしこの内のどれかが軌道からはずれるとたちまち挫折する、これが剣道修業上の要だとある剣道の先達が諭してくれた、私はこの教訓を、心の奥深く留め、一時も脳裡から離すことなく只一筋に現在に到っている。
「鈍」 辞典に「のろい」「動きがにぶい」とある、私は修業中よく先生から「お前は不器用だなァ」と言われた。私は、この不器用は自己の努力により補う外道はないと決意、人の数倍練習に努力したものである。過度の疲労の為神経が高ぶり眠られぬ夜が屢々続いた。ある日このことを剣友に訴えると酒を呑むと熟睡ができると教えて呉れた。今日私が少々酒を好むのもこれが動機となった次第である。斯様な苦しい体験は運動神経の優れた器用人には到底想像だも及ぶまい。
「根」 根性「優しい」「厳しい」人間性質から成るもので剣道に於ける「根性」即ち「根性骨」或は「厳魂」要するに強固なる意志精神力である。最近各スポーツ競技選手の鍛練にあたって殊に強調され、且つ一般社会にあっても「根性」なる用語は高く評価されている、誠に結構なことである、然しこの用語は決してこと珍らしいものではなく、剣道鍛練上昔から多く使われていた。私が旧制中学に入校した時剣道部へ入部の勧誘をうけて、子供の頃防具を着けて遊んで居たほどであるから意欲を燃し直ぐ之に応じた。ところが稽古の第1日目時の主将から双手突きを連続10本以上も見舞われ耐え兼ねた私は泣く泣く遂に面を脱し同時に入部も止めたのである、実に根性骨の弱い見本のようなものであった。時代は変り剣道では強力なしごきとか常識を逸脱した鍛え等は現今余り耳にしないが、当時はしばしば見聞したものである、指導者は常に自信と自覚を以て習技者の嗜好心を喚起するのが一方法と思う。
「運」 運命と云い、この言葉は人類生存に極めて都合よく使われる、自己を中心にして我が利あらざる時は運が悪かったと云い、他人が成功した時は奴は運がよかったと簡単に片づける、だが私は運とはそんな安易なものでないと信ずる、逞しい根性、鈍を補う精神力努力とが積み重なり条件が揃ってこそ運なるものが成立するのである。
日支事変(日中戦争)勃発昭和14年4月応召以来敗戦終結昭和21年5月復員迄約8年間激戦から九死一生を得て無事生還したのもこれ運命、幸いにも健康な身体と恵まれた条件の私は「運」「根」「鈍」の歯車が常に噛み合うよう精進努力、丸い正確な歯車を鏡に愈々剣道に一生を投ずる所存である。
*現代剣道百家箴は、1972(昭和47)年、全剣連20周年記念事業の一つとして企画された刊行物です。詳しくは「現代剣道百家箴の再掲載にあたり」をご覧ください。