図 書
現代剣道百家箴
剣道は何のために
高島 永吉(剣道範士八段)
古は術に留めし此の道を 拡げて説けや 人道として 『武道宝鑑』より
剣道をやる以上、何をさしおいても、明確にしておくべきは、剣道を何のために習うのかということであろう。
しかし、剣道を習い始めたものすべてに最初から、その目的を充分に持てというのは、無理な話であろう。また、最初から「剣道は何のために」と云うことが、明確になるはずもなかろう。剣道を習い始めた頃は、興味半分に、或いは、技術の練習に、身体の鍛練に、精神の錬磨になどただ単に、その人なりにその道に足を踏み入れた理由が即ち目的である。
しかし、最初の目的が、その人の最終の目的で終わってしまっては、剣道ではなくなってしまう。剣術で終わったり、身体の鍛練術で終わってしまうことになる。しからば、「剣道とは何ぞや」かつての私は、この問いに対して、甲という答えをもってした。そして幾年か後の私は、この問いに対して、乙と云う答を以ってした。そして今の私に対して同じ問いを投げかけられたら、道であると答えたい。もっというならば、人の道であると答えたい。すなわち、剣道とは険道である。
剣の修業という険しい道を通して、肉体的、精神的、技術的、その他に於いて己をどこまで高めることができるかということである。今の私にとっては己を高めていく非常にすばらし手段として剣道は存在している。
私は同じ道を歩んでおられる後輩諸氏が、たえず「剣道は何のために」と自問し、かつての自分より少しでも広く、深い目的をもった自分を発見して頂ければと思っている次第です。
剣の道、それは道である。しかも、人の道である以上、自分の力で、自分の足で、努力して歩いていかなければならない。
乗りものに乗って楽をして行く訳にはいかない。なぜならば、人の道(歩道)なのだから苦しくても、杖(剣)の使い方を真剣に工夫して足で歩んで行って頂きたい。あなたの数10メートル程先を歩んでいる人の歩き方を後から研究し、少しでも追いついて行く。少しでも追いついて語り合える楽しさ、これは、追いつくための苦しさをカバーし、次の活力を与えてくれることだろう。そして、この道をうまく歩んでいくためには、履物(基本)を正しくはいて、あとあと靴ずれしないようにすることである。もし歩き心地が悪くなったり、石にけつまずいたりしたら、履物をたしかめ、靴のひもをもう一度しめなおすことである。前を歩いている人(師)に声をかけてみるのも、うまく前にすすめない時の手だてである。
ではここらで、私も靴のひもをしめなおすために立ち止まることにしよう。
*現代剣道百家箴は、1972(昭和47)年、全剣連20周年記念事業の一つとして企画された刊行物です。詳しくは「現代剣道百家箴の再掲載にあたり」をご覧ください。