図 書
現代剣道百家箴
称号・段位の重さ
中尾 巌(剣道範士八段)
私が範士の称号を授与されたときの感想を述べさせていただきます。
私が剣道を始めてから、初段、二段と受けはじめたころ、剣道範士といえば神様のように思い、これは雲上の人々が取る称号であると思っておりました。私にはとても不可能な夢の称号であると思っていたわけです。ところが神は我に天運を与えてくれました。諸先生、諸先輩のご指導よろしきを得まして、ここに範士の称号を授与されることが出来ました。其の時は本当に天に昇るような思いで有頂天になり、 夢ではないかと自分の頰を抓って見たような次第です。しかしながら、日がたつにつれて授与された範士の称号が、次第に重くなり始めたのです。まるで頭に大きな陣笠をかぶせられたような感じがしてまいりました。其の反面、自分自身がこわくなって来たのです。範士の称号は剣道最高のものである。それに私は範士としての価値があるのだろうか。人間的に技術的に、そして範士はどうあるべきか。という疑問が次第に大きくなっていくばかりです。私は、日々の練習が心の重荷となり、範士号という大きな陣笠に押さえつけられているように思われてなりません。このことを考えながら思いついたことは、もっと修業し、人間的に技術的に大きく成長したときにこそ、範士の証書を部屋の正面にかかげよう、ということです。これが何より自分自身を引き締めると共に、叱咤激励することだと、自己満足に過ぎませんが証書をしまっておくことに致しました。3年、5年10年後、或いは死亡する前にかかげることになるかも知れません。範士の称号は、私にとって喜びよりむしろ大きな負担になったような感じがいたします。近頃では本当の剣道はこれからだ、と思うようになり、けい古に、又精神的な勉強に励んでおります。
私が皆様にお願いしたいことは、称号或いは段位が全剣連で定められた年数がきたからといって、やたらに取ろうとしている人達に本当の称号、段位がいかに重大なものであるかという事をよく考えて戴きたいのです。また将来の日本の剣道の発展がこの称号、段位にかかっているものであることを充分に認識してもらいたいと思います。
剣道の称号段位は、みづから求めるものではなく、
けい古をすることによって
おのづから授けられるものである。
*現代剣道百家箴は、1972(昭和47)年、全剣連20周年記念事業の一つとして企画された刊行物です。詳しくは「現代剣道百家箴の再掲載にあたり」をご覧ください。