図 書
現代剣道百家箴
剣道修行の心構え
中倉 清(剣道範士八段)
剣道を学ぼうとする者は、技を修めながら、人間性と人格形成をはかるを第一義と心得るべきであろう。
剣道は打たれて修行せよという程に厳しいものである。従って真の修行者は、あらゆる苦難を求めて止まない強い信念と不動の心を基としたところの男性的態度を常に示したいものである。次々の苦難を突破してこそ、技も自然に身についてくるし、本当の剣道の興味と面白味がわかってこよう。
又、少々の風邪気味でも稽古をすれば癒るぐらいにといわれるが、これは強い精神力の現れである。しかしながら剣道は筍が伸びるように単的には成長、上達するものではない。時にはスランプに直面し、一時技の向上が停滞し、心の働きがにぶり、大きな壁につき当るようなことがある。このような状態は誰れでも一、二度は体験したであろう。
ここが一番大事なところであって、決して失望、悲観してはいけない。このようなピンチ、厚い壁をきりぬけてこそ、技の大きな進歩が望まれ、真の剣道の心が育成されると確く信ずるものである。更に剣道は技が進み、強くなっても自惚れてはならない。剣道の真髄に多少でも近づこうとするならば、自分には厳しく、人には謙虚であってこそ剣道の真姿が求められ且つ尊敬される所以でもある。
次に酒色も修行の大敵であることを忘れてはならない。酒色の慾は人間本能とはいえ、本能のはしるままその慾を逞しくすれば、いつかは心身を害ね、ひいては修行の妨げとなるばかりか大事な一生を台なしにする結果となる。人間は酒色の二慾を慎めば、剣道の上達は勿論、 高潔な人格が陶冶されていくものである。しかしながら言行一致は中々至難なことであり、一芸一能に秀いでた歴史的人物をみると、いかにこれらの煩悩を断ちきるために、修行三昧に苦心したかがうかがわれる。
昔の英雄、豪傑は、又剣道の達人と称する者は、酒色を好み求めたかのような俗説を耳にするが、おそらく大成はしなかったであろう。
後世に名を残し、実を残した人は人間の貪慾にうちかち、ひたすら修行一筋に生きぬいた努力、精進の持ち主である。
次に、人の稽古、試合を充分に観察する習慣を養うことが大切である。特に不成功の技の中に理合が隠されていることを見逃してはならない。一例をあげてみよう。
警察学校の初任科生の剣道形の授業時のことであった。太刀一本目の打太刀が基本の面打ちの要領で、剣先を仕太刀の顔面で止めたので、仕太刀はふみこめず、そのまま停止状態となったのである。形としては不成功だが、剣先を中心から離してはならぬ原理を、その瞬時において今更ながら悟った次第である。
最後に、修行の段階において、若い時は不撓不屈の意気ごみで、体を惜しまずに、技を充分出しきった稽古をすることが第一であるが、更に進めば、技の発する前、所謂、心の働き、心の修行はどうあるべきかを考えなくてはならない。剣道の修業に終りがないとは、心の修行の無限をさしたものである。
*現代剣道百家箴は、1972(昭和47)年、全剣連20周年記念事業の一つとして企画された刊行物です。詳しくは「現代剣道百家箴の再掲載にあたり」をご覧ください。