図 書
現代剣道百家箴
剣道放談
額田 長(剣道範士八段)
剣道の発達過程を見ると、昔は突く、切るの原始的な刀法のものであったようで個人的感情による殺生の用に供せられたり、戦いを有利に導く為の手段として勝敗や闘争に用いられたことが多かったが、名人達人の苦心によって立派に育だて上げられ体系づけられて次元の高い而も国民性に密着した剣道が完成された。
中でも、足利時代の末期一刀流の始祖伊藤一刀斎が打ち立てた「水月移写」徳川初期を飾った柳生流の「西江水」針谷夕雲の「無住心」宮本武蔵の「巌の身」無外流辻月丹の「玉簾不断」下って幕末では男谷精一郎、千葉周作、(勝)海舟が師島田虎之助、榊原鍵吉更に明治維新の傑物山岡鉄舟の「無刀独妙剣」など特筆すべきである。説く所は心の鍛錬に関するものばかりで、剣道が単に剣技に終ることなく「心の剣」であり究極の目的とするものは人格の完成であるとしている所は皆一致している。而もそれは生死の境を彷徨して得た生死解脱の悟道であるから今様平和時代に生きる者にとっては、手の届かない高嶺のものであるかも知れないが、何んとかして先人の遺した訓えを会得するために、周到な工夫と懸命な努力を傾注せねばならぬ。
「剣は心なり心正しからずんば剣又正しからず故に剣を学ばんとするものは先ず心を学べ」との島田硯山(虎之助)の誡めが泌々とこたえてくる。
かつての名人達人を育てた往年の剣道は再び呼び戻し得ないのみならず、今後の剣道はスポーツとして益々盛んになるであろう。スポーツの竹刀剣道でも修行者の確固たる自覚と信念があって更に正しくスグれた指導があれば高い剣道の妙諦に達せられるに違いない。
剣道の修行が稽古や試合審判だけにあるものでないことは今更云うまでもないが主体はやはりここにあると思う。修行者が思う存分振る舞えるためには妨げとなる制度や規則が余りに多い。乱暴とさえ思われる体当り足がらみ組打ちなども復活して青少年の充実した気力、体力の養成に役立たしめるなどどんなものだろう?
今後幸いに日本国有の剣道精神の勃興を見て立派な剣士が輩出し日本国の将来を盤石のやすきに置かれんことを心の底から祈るものである。
*現代剣道百家箴は、1972(昭和47)年、全剣連20周年記念事業の一つとして企画された刊行物です。詳しくは「現代剣道百家箴の再掲載にあたり」をご覧ください。