図 書
現代剣道百家箴
これからの剣道
広光 秀国(剣道範士八段)
「剣道とは、刀剣を使用して、戦闘するの技術を練磨せん為に起れるもの」と、云い。「剣道とは、刀剣による攻防の理法を修練するの道なり」と、云われているが、撃剣、剣術などといわれた武家時代は、まさにこの通りであろうと思う。それにしても江戸中期頃より貝原益軒など一部学者間に剣道と呼び、剣技を練磨する過程において士道と剣術を結び、武士の練成の場の中心として位置づけている。今後の剣道を考える時、明治4年の廃刀令により、数百年間続いた武士がなくなり、この為必然的に影響を受けたのは剣道などであろう。榊原鍵吉らは、撃剣芝居によって剣道を残そうと努力した。そうした中に、只ひたすらに剣道を修練努力した山岡鉄舟先生を最も身近に思うものである。先生は剣法を気狂いのように愛し、自ら「予24才の時、一週間立切千四百回の試合を為せしに、更に疲労衰弱を覚えず」と、誌している。
先生は「剣道は刀を用いずして、その人の剣の修練による威力によって相手を制するものでなくてはならない」と、云われ一生の間一度も刀を抜かれなかったといわれる。明治13年3月30日51才 43才にして開悟し、無刀流を開かれ、「無刀とは、心の外に刀なしと云うことにして……」と、云われている。
剣は手に従い、手は心に従うと云う如くに、心の練磨こそがその中心とならねばならない。剣客名人といわれる人々は、皆この面に苦心されている。
遠い我らの祖先が血を流し、永い間に培われて成長し、幾度かの苦節は有ったが逐次発展している現状を見る時に、文化遺産の一つとして貴いものであることがつくづくと察知されるのである。それは剣道の持つ内容から来るものである。
従って、これからの指導者も、被習者も、よくそこの処を研究されなくてはならない。単に古い物への興趣とか、物好きからだけとは思えない。何かがある。そこは、われわれの血肉の中に武士道即ち仁、義、礼、勇、誠といったものが、時代の変転に合うつどに改廃陶冶されて流れているからである。
沢木興道師は「剣を手にして自己を創造するものなり」と、大森曹玄師は「剣は、あたかも三尺の得物をもってする禅」と、云っている。
また、故内藤高治先生は「常に剣道は武士の心になってやりなさい」と、申されていた。真に意味深く今後の剣道の姿を示しているものである。いわば剣道は独自の風格を持った精神文化である。従ってこれからの剣道は、正しい斯の道の修練によって心身を鍛練し、剣道の特性を通して人格を形成し、自己を豊にし、国と社会に貢献できる人間造りこそが、これからの剣道の進み方ではなかろうか。そして、また、日本独得の高い文化財として育てて行かなければならないと思う。
*註 山岡鉄舟は1836(天保7)年6月10日生まれ、1880(明治13)年3月30日当時は満43才。51才は誤植。
*現代剣道百家箴は、1972(昭和47)年、全剣連20周年記念事業の一つとして企画された刊行物です。詳しくは「現代剣道百家箴の再掲載にあたり」をご覧ください。