図 書
剣道と「き」
第8回 近代剣道と気
全剣連 広報・資料小委員会 委員
埼玉大学 名誉教授
大保木 輝雄
1.撃剣から剣道へ
明治維新を迎え、政府によって推進された近代化政策によって、撃剣は過去の遺物として社会の片隅に追いやられようとしていました。しかし、明治10年の西南の役をきっかけに、撃剣再興の機運が盛り上がります。それは同時に、撃剣が、新たな時代に対応すべく近代化を余儀なくされることでもありました。
近代剣道の父といわれる高野佐三郎(1862~1950)は、『剣道』の中で「剣道四戒」を「驚・懼・疑・惑」とした上で、技術は枝葉であって精神が根底であるとして、「其の根に培ふことを怠ってはならぬ」と述べ、現代剣道においても重視されるべき精神面について、はっきり言及しています。
「心気力一致」の項では、心を精神作用の静的方面、気を動的方面と説明し、「心は気を率い、気は心の命令に従って活動する。心は智である。気は意志である。力とは身体の力である。之が現れて技術となる」と述べています。つまり、眼や耳から得た情報が直に精神の働きとなり、その働きに応じて迅速に技となり、始めて「よく機に臨み変に応じて、勝を制することが出来る」のであり、「勝敗は術策よりも、寧ろ機会を見て敏速に活動し得るか否かによって岐れる」として、心気力の一致がなければ、敏速な活動はとれないとしているのです。
2.千葉周作の心法論
このような気の捉え方は、実は江戸末期に活躍した剣豪として名高い千葉周作(1793~1855)が、自身の剣術を練り上げてゆく過程で考案したものでした。弟子が伝えている周作のことば(『剣法秘訣』)にその消息を見てとることができます。
「剣法ニ四戒アリ。驚(オドロキ)・懼(オソレ)・疑(ウタガヒ)・惑(マドヒ)是ナリ。苟モ此ノ一アレバ、即チ敵ニ臨ミテ其機先(キアヒ)ヲ察シ全勝ヲ得ルコト能ハズ。実際ニ於テ、弱者亦能ク剛者ニ勝チ、遅術能ク速業ヲ制スルモノハ何ゾ。是レ他ナシ、活発敢為ノ精神ニ富ミテ、常ニ此四戒ヲ脱シ、思慮深奥(オモンパカリフカク)・進退活機(ハタラキ)ノ視察(ミトホシ)ニ鋭クシテ、能ク敵ヲ機先ニ制スルコトヲ得レバナリ。故ニ苟モ剣撃其法ヲ修メテ、身體ヲ厄難ニ護リ、兵戦時ニ臨ンデ勁敵(ツヨキテキ)ヲ鋒刃(ホコサキ)ニ挫カント欲スル者ハ、平素其意ヲ腕力ノ一點ニノミ注グコトナク、勉メテ驚懼疑惑ノ念虜ヲ去リ、思慮深奥活発敢為ノ精神ヲ養ハズンバアルベカラズ」。
周作はまた、それ以前の形剣術に折り込まれている「機を見る心を基軸とした「心法」の要諦を「心気力一致」という言葉で集約しました。「心気力ノ三戒」について、「他流ニ眼・意・足ト云ヒ、我流に心・気・力ト稱フル三戒アリ。試合ノ際着眼及ビ注意ノ両點(フタツ)其宜(ソノヨロシキ)ニ適セザレバ、能ク敵ノ隙ヲ窺認(ミトメ)シ、又其機先ヲ察知シテ之ニ撃チ勝ツコトヲ得ズ。又足ノ踏ミ居(据カ)エ宜シカラザレバ、身体渋難、確乎ト敵ノ隙ヲ認ルモ、充分ニ撃チ突ヲ試ミルコト能ハズシテ之ニ撃勝ツコトヲ得ズ。故ニ學劍諸士ハ、常ニ此ノ三戒ヲ肝銘(ココロニトメル)シテ、着眼・注意及ビ足位ノ三點ニ注意ヲ放ツベカラズ」ということばを遺しています。
3.「一本」の創出
千葉周作は北辰一刀流の開祖として、剣術をめぐる激変期に防具使用の竹刀打込試合形式である「撃剣」の体系化をはかりました。防具と竹刀という「共通の道具」を使い、「小手・面・胴・突」といった打突部位を定めて他流試合を可能ならしめたのです。同時に、打突は「心気力一致」したものでなければならないとして、現代剣道の「一本」を支えるコンセプトを作りました。
これは、剣道の近代化に伴う「競技性」という側面を考えた時に、たいへん重要なポイントです。
撃剣が産みの苦しみを伴いながらも近代化の波をくぐり抜け、今日の「剣道」に至った背景には、高野佐三郎に先駆け、すでに技術・精神両面において時代を見据えていた千葉周作の体系化があったといえるでしょう。
(つづく)
*この『剣道と「き」』は、2004年9月〜2005年9月まで12回に渡り月刊「剣窓」に連載したものを再掲載しています。